alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

風向きどおりには流れない

最初にお詫びと訂正です:

前回のメタンの生成エンタルピーを求める問題、③式右辺の「CO(g)」は「CO2(g)」の誤りでした。コピペを何度も繰り返している人「あるある」、どうか、どうか、ご海容のほどお願い申し上げます。

 

ところで、一昨日(29日)のニュースですが、ロシア船籍のタンカーが流氷に囲まれて航行不能オホーツク海、枝幸の沖合約24km(i) の日本領海外だそうです(30日夜、ロシアの砕氷船の救援によって動き出したらしい)。

(i) 領海は基線となる海岸線から12海里(NM, nautical mile; 1 NM = 1852m)の線までの海域です。24km なら 12.96 NM、確かにちょっとだけ外側ですね。

第一管区海上保安本部海氷情報センター提供の「最新の海氷速報」

海上保安庁提供の29日の海氷分布図です。タンカーは枝幸沖の赤く塗られた領域(氷の密接度9-10)につかまっていたのに違いないですが、2日ほど前(27日)の時点で航行困難となっていたそうです。だとすれば、25日か26日にはすでに現場付近を航行していたはず・・・

じゃあ、こんな天気図を見て、それでも出港したんですかね

25日と26日の地上天気図、低気圧が発達して極端な縦縞模様、「典型的な冬型」の気圧配置です。現場海域には、海上暴風警報 Storm Warning (最大風速 48kt 以上) か、割り引いても 海上強風警報 Gale Warning (最大風速 34kt 以上、48kt 未満) が出ていたはず。最大風速 25 m s-1 くらいの大荒れの中で港を離れ、避航するどころか自ら流氷域に突入したのか。いやはやなんとも・・・とあきれていたのですが、思い切りのよい船長さんならやるかも、と思い直すところがありまして(まさかまさかですが:笑)。

 

今回はオホーツク海の流氷のお話しです。

 

オホーツク海の流氷の起源

オホーツク海の流氷は、河川水が凍ってから流入したものではありません。オホーツク海の北部やサハリン(樺太)の東岸で、シベリアからの寒冷な北西風で冷やされた海水が凍って形成されます。できた氷は風で沖合へと流されるので、岸寄りの海面が開いては凍ることを繰り返しています(沿岸ポリニヤ)。海氷は厚さを増しながら南下して、やがてサハリン東岸に沿って流れる東樺太海流に乗って、北海道のオホーツク海沿岸までやってきます。

流氷科学センター「流氷ミニ百科事典」より

オホーツク海沿岸の緯度は北緯44度から45.5度ですが、同じ緯度の日本海側や太平洋側には流氷はありません。大西洋に目を移しても、北米大陸の東側のラブラドル海あたりが南限のようで、北緯50度よりも北にあるイギリスには流氷はやってきません。オホーツク海は、北半球で流氷が見られるもっとも低緯度の海なのです。

北半球の流氷分布(北海道が図の下に見えています)

※ 青田昌秋(1985): オホーツク海の流氷について.日本工業教育会誌,33-4

 

流氷の南下と東樺太海流の向き・・・ナンセンの理論

シベリア大陸から吹き出す北西季節風は、沿岸ポリニヤ域の海面を冷却して海氷を製造し、その後南東向きに吹き去ります。ところが、海面に浮かぶ海氷は、南東向きではなくほぼ南に向かって動きます。東樺太海流も、北西の季節風が強まる晩秋以降に明瞭になる流れです。風の吹き去る向きには流れません。これは、昨年 11/17 に書いた「コリオリ力」という転向力の働きによります。海面の流れは風の向きに対して右に45度ずれる、でしたね。そこでコリオリ力の「発明」物語です。海氷の観察が始まり。

ノルウェーの探検家フリチョフ・ナンセン(ii) は、1893年から1896年にかけて調査船フラム号を北極海の氷の中に敢えて閉じ込め、北極海の東から西に向かう流れを利用して、地理上の北極点に到達しようと試みました。北極点到達はできませんでしたが、フラム号はシベリア北方で氷に乗り上げてからゆっくりと西に向かって漂流、最終的にスピッツベルゲン島アンデルセン童話の「雪の女王」の宮殿はこの島にある設定です)付近に到達しました。

(ii) こんな縁起でもない名前の人が船で探検にでかけるとは、日本では考えられないことです。「難」「船」じゃありませんか。

漂流中はやることがあまりなかったせいか、北極点付近に大きな陸地はないことを発見したほか、乗員の犬ぞりの扱いが上達したとか、クロスカントリースキーの標準的な速さは荷物を積んだそりを犬が曳く速さと大差ないことを発見した(iii) とか、ある意味では極地探検のノウハウを積み上げる漂流航海でもあったようです。実際、犬ぞりで北極点に向かっています。

(iii) 人がそりに乗らないで自分でスキーを操れば、移動速度を変えることなく、その分だけ多くの物資をそりに積めるわけです。

\(・_\)それは(/_・)/おいといて、ナンセンはフラム号が風下に向かって流されていないことに気づきます。氷の流れる向きは風が吹き去る向きより20~40° 右によっていたのです。ナンセンにしたがっていたエクマンは、後日、この事実を地球自転による転向力や海水の渦粘性を加味して理論付けました。海洋表層の大循環を説明する理論の骨子は、エクマンによるものです。

エクマンは、また、フラム号が氷に乗り上げる前に遭遇した「死水」現象(iv) の解明や、海水の圧縮率の研究など、海洋学の多くの分野で成果をあげました。

(iv) 高密度の海水の上に汽水が存在するような場合に、船のスクリューを回しても両者の境界面で内部波が生じて推進力にならないし、舵もほとんど効かなくなる。船乗りたちには「曳き幽霊」などと呼ばれる。

 

今日の話のオチ

北見枝幸沖での状況はともかく、流氷が次々に押し寄せる海域では、船舶がまともに航行できないことくらい、簡単に分かりそうなもの。しかも、風も強いときたものです。ロシア船籍のタンカーの船長さんの想像力はまったく足らなかったのでしょうか。

ここからは元・水の分析屋さんの不謹慎な想像。海面が流氷に覆われると、波が発達しにくくなります。風は強くても、氷にまわりを守ってもらえば、波にたたかれることはない。流氷もゆっくりとではあるけど、オホーツク海南部では東側に動いているようだし・・・もしかしてだけど~もしかしてだけど~ 流氷に囲まれて運んでもらう気でいたんじゃないの? もちろん、フラム号のように頑張れるわけはありませんでした。

漂流の終わり、フラム号の前に海面が開けたところ

流氷の話、次回も続けます。