alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

リン酸塩とケイ酸塩の分析法 (3)

NHK大河ドラマ「光る君へ」、毎回楽しみに見ています。吉高さんのまひろはさすがですが、ウイカさんの清少納言も、才気煥発、なかなかのはまり役ではないでしょうか(ドラマでは「ききょう」ですが、清原元輔の娘、本当の呼び名は不明です)。

ネット上でも話題になった「香炉峰の雪」。枕草子 二九九段「雪のいと高う降りたるを」がネタですね。では、さらにさかのぼった元ネタをご存知ですか?

楽天白居易)の七律からの対句(聴覚と視覚の対比にもなってますね):

遺愛寺鐘欹枕聴  遺愛寺の鐘は 枕を欹(そばだ)てて聴き

香炉峰雪撥簾看  香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看る

遺愛寺の鐘の音は 枕をずらすようにして聴き、

香炉峰の雪景色は すだれを巻き上げて看る。

夜のうちに雪が降ったようです。雪は降る、あなたは来ない(Tombe la neige, Tu ne viendras pas ce soir... アダモちゃん)。犬が庭駆け回るかどうか、外の様子をちょっと見たい。といったところかどうかは知る由もないのですが、中宮・定子様が「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ(どうであるか)」とおたずねになった。清少納言はすぐに「外の雪景色をご覧になりたいのではないか」と思い至ります。そして「御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑わせたまふ」。おお、なるほど、やるやんか。

当時(西暦で1000年前後)の宮廷においては「和漢朗詠集」や「白氏文集」は知っていてあたりまえの基礎的教養であったはず。そこを踏まえて超えて、「どうであるか(見せよ)」と訊かれて「このようです(ご覧下さい)」と応じる見事な機転。中宮様は、我が意を得たり、さすがは少納言である、とお笑いになったわけですね。

若かったあのころ、枕草子に対してお高くとまったような、どこかいやなイメージをもっていました。でも、年を取ってから全体を読み直して、色々な評論や解説にも触れてきました。今は、没落の運命をたどる定子様を慰めるかのように、美しい事柄やよい思い出話を、ただただ書き連ねていたのかな・・・と思っています。少納言、細やかな心の持ち主だったんでしょうね・・・こんなことを書いているだけで、涙腺が故障しているのが分かります。

 

今回は、知っていてあたりまえのことが抜け落ちていて、先例を踏み外すうっかりミスをしたところに、チェック機能までも働かなかった話。

 

「どうしてこうなった」

1999年改訂版の「気象庁海洋観測指針」。リン酸塩分析法の測定波長の設定と分析試薬の調製法に不備がありました。前回繰り返し書いた「大切なこと」への理解が抜け落ちていたのです。

1999年改訂版、いったい、いつどこで誰がなにをなぜどのように(i) 間違えてしまったのでしょうか。

(i) 5W1H:「When(いつ)」「Where(どこで)」「Who(誰が)」「What(何を)」「Why(なぜ)」「How(どのように)」の頭文字をとった言葉。情報をこの要素で整理すれば、内容が正確に伝わりやすいといいます。

1999年改訂版の話なので「いつ」なのかは・・・そんなもんでしょう。また、改訂の作業は気象庁の海洋観測部門でやったことに決まっているので、「どこで」も改めて問う必要はないでしょう。確かめるべきことは、「誰が」「何を」「なぜ」「どのように」の4つです。

「誰が」は、個人を特定するような話ではないので後回しとして、「何を」&「なぜ」と「どのように」の部分は連動しているので、そこから考えていきましょう。

海水中にはリン酸塩もケイ酸塩も含まれており、どちらの成分も「モリブデンイエローを作って、還元して、モリブデンブルーにして吸光法」という分析法になっています。測定にかかってほしくない方の反応を抑制できなかったり、吸光法に持ち込んだところで測定波長を間違えたりすると、リン酸塩だけ測りたいのにケイ酸塩まで参加してしまう・・・ここが知っていてあたりまえ、知らないようではまずい「何を」の部分。

反応系内部の pH が十分に低くないと、リン酸塩だけ反応させたいところ、ケイ酸塩の反応を抑制できない。ここは pH 値設定の意味を知らなかった罪です。もうひとつ、「モリブデンブルー」という呼び方は同じでも、リン酸塩とケイ酸塩では測定される物質が異なり、吸収ピークの位置も異なるのですが、リンモリブデン酸からできる青の吸収ピークは 882nm 付近なのに、1999年版ではなぜか 830nm で測定することになっていました(ケイ酸塩の吸収ピークに近い)(ii)

以上、私の言葉遣いまでおかしくなっていますが、設定された pH についても、吸光光度計の測定波長についても、引用すべき文献にも、旧版の指針にも掲載されていない値が採用されていた、ということになります。

(ii) 最新の「指針」の測定波長はそれぞれ 880nm と 820nm に直っているはずです。気象庁の部内の資料(文書)を一般人に見せようとはしないでしょうけど。

こうして「なぜ」なのかはまったく不明ですが、「どのように」は実現されました。「人為的ミス」にはありがちなことです。

 

やってしまうタイプの人物像と職場の環境

話を「誰が」に進めましょう。問題だらけだった「指針」の著者の人物像などについて、あれこれと想像をめぐらせて、悪態を並べ立ててみます(笑)。

まず、この人は、自分の知識が足らない分野の仕事を、安易にかどうかは別として、引き受けてしまいました。上司から言われたら何だって引き受けるのか。ほかに自分よりは適任の人がいるはずなのに探せないのか紹介できないのか。はたまた賢い友達がまわりにいないのか。

次に、この人は、前例に倣ったつもりかも知れませんが、根拠なく前例と違うことをやっています。試薬の名前はあっていましたが、その調合割合はどこを探しても出てこない。測定波長も「取り違えた」のではなく、どこから引っ張ってきたのか分からない。極端な言い方をすれば、コピペすら満足にできなかったことになります。

最後に、そういう人に任せなければならなかった職場の状況。必要な専門知識をもっていそうな人がいなかったので、できあがりを入念にチェックできる人もいなかった。反応時の pH を計算して(高校生の化学の試験レベル)、測定波長が正しいかどうか前例を見て、肝心な部分を確かめていれば、ミスは起こらなかったはず。この職場を与っていた人は、分析屋さんの仕事に対する責任を感じていなかったのでしょうか。

 

補正可能だったリン酸塩データ

実際、誤った指針に従って分析していた期間のデータを調べると、共存するケイ酸塩の影響で最大5%にも達する測定誤差を生じていました。しかし、そこは「指針」です。みんながそろって、常に分析条件が同じになるようにしたので、妨害の現れ方も常に同じはず。であれば補正することができるでしょう。

ケイ酸塩の影響の現れ方が常に同じであれば補正可能

リン酸塩とケイ酸塩の混合標準液を用いた同時分析を行っている場合に限りますが、ケイ酸塩の影響を上の図のように考えると、リン酸塩濃度の補正値を論理的に決定することができます(iii)。これ以上詳細には踏み込みませんが、皆がそろって同じ間違いをしていたので、データを補正できました。

車は左側通行のところ、1台だけ逆走してくると大変まずいですが、皆で右側通行するなら・・・というのは、たとえが悪いでしょうか。

(iii) 気象庁の測候時報、2006年の第73巻特別号に「ケイ酸塩の影響を受けたリン酸塩データの補正法」という報告があります。

 

 

リン酸塩とケイ酸塩の分析法 (2)

4月16日、道南、松前町に桜前線が上陸しました。松前城のサクラは種類が多くて、早咲きのものも、遅れて咲いてくれるものもあるので、長期間にわたって楽しめます。

さて、こちらは函館地方気象台 4/18 発のさくらの開花情報:

4月18日 函館でサクラ開花です

函館地方気象台の新着情報から。札幌よりも数時間遅れの開花だったようで(ずーっと見つづけるわけにもいかないでしょうに)。

さてと、「気象台が定めた標本木」の写真、これじゃあ開花宣言の基準(5-6輪以上)に達したかどうか分かりません! (せっかく写真を出したのに情報量ゼロです)

もひとつ、気象庁のマスコット「はれるん」が函館に居合わせる(道内では札幌に常駐のはず)のは「あり」として、「エキゾーくん」や「GO太くん」が観測に同行・・・とはどうしたことでしょうか。函館市五稜郭タワーのご担当を通じて呼びつけたのか、丁重にお出まし(笑)願ったのか、あるいは先方から押しかけてきちゃったのか。気象台が実施した生物気象観測の結果に関する「お知らせ」によその子がバッチリ出ている。単なる受け狙いかな。まあ、笑えるところが満載です。

 

さて、今回は、リン酸塩分析法とそっくりな、と書いたケイ酸塩の分析法です。

 

分析できるケイ素の姿

ケイ酸塩もリン酸塩と同様、なぜか分析できるのですが、測定対象の化学形についても、発色試薬と反応してできる物質についても、分からないことだらけでした。21世紀になってようやく明らかになった、海水中の溶存無機態ケイ素の化学形や如何に。

希薄な水溶液中で「可溶性」のケイ素は Si(OH)4 として存在し、pH 8 以上であればプロトンを一つ失って SiO(OH)3- の形。ケイ「酸」と呼ばれながら、分子式に OH をもつのが面白いところでしょうか。ややこしいことに、濃度が高くなると次式のように2分子が会合してしまいます。

同様にして3分子、4分子・・・の会合も生じます

二つの Si(OH)4 が OH を一つずつ出し合って、そこから H2O が外れて会合する仕組みです。ほかの OH でも同じことができます。ただし、分子が会合して大きくまとまるほど反応性は低下します。また、大きくなった「ポリマー」みたいなのが、浮遊している粒子(植物プランクトンも含む!)の表面にある何らかのサイトと結びつくとか、もっと謎めいたこともあるらしいです(i)

(i) 元・水の分析屋さんが「気象庁海洋観測指針」改訂案を執筆した時点ではまだ出ていなかった、分析中の化学反応の細部にまできちんと言及している論文:

Coradin, T., D. Eglin and J. Livage (2004): The silicomolybdic acid spectrophotometric method and its application to silicate/biopolymer interaction studies. Spectroscopy, 2004, 18, 567-576. 下の図に示したモリブデンイエローの立体構造のイラストもここからいただきました。

とはいえ、ややこしいことがどの程度起こっているのかはおいといて、発色試薬を添加したら反応に参加してくれる「反応性」の部分を定量するのが、ここで紹介する分析法。基本は長い伝統のある手法、どれが先行文献の決定版なのかはわかりません(ii)

(ii) 「気象庁海洋観測指針」では引用していませんが、いにしえの教科書的な感じのものはこちら:

Strickland and Parsons (1968): Determination of reactive silicate. In:  A Practical Handbook of Seawater Analysis.  Fisheries Research Board of Canada, Bulletin 167, 65-70.

 

ケイ酸塩(Silicate; Si)の分析法

海水中のケイ酸塩も、モリブデンブルー法で分析するのがふつうです。上に書いたとおり、この分析法では、溶存無機態のケイ酸塩のうち、モリブデン試薬と反応できる状態の「反応性のケイ酸塩」が定量されます。いくつもの分子が会合した「ポリマー」は引っかかりにくいようです。

原理となる反応を見ていきましょう:

(1)ケイ酸塩は、酸性下(pH 2程度(ii))で12個のモリブデン酸と反応して、ケイモリブデン酸と呼ばれる黄色の錯体を形成します。

(2)この錯体を適切な還元剤で還元すると、青色のモリブデンブルーとなります。還元剤としてアスコルビン酸(ビタミンC誘導体です)を使用した場合、この物質の青色は、赤外領域の 820nm 付近に吸収ピークをもちます。

(3)還元剤を加える前にシュウ酸 HOOC-COOH を添加すれば、リン酸塩の反応生成物をマスクすることができます。

(iii) リン酸塩の定量を行う pH 0~1 の範囲では、ケイ酸塩の反応が進みにくいとされています。反応時の pH を調整して、定量のジャマにならないよう工夫しています。

ケイモリブデン酸、モリブデンイエローはこんな物質です:

モリブデンイエローの立体構造(左)と2次元の構造式(右)

これを使って定量しようという物質の構造まではよく分かっていなかったのですが、リン酸塩の分析と同様、「モリブデンイエロー」を還元して、混合原子価化合物「モリブデンブルー」を作り、吸光光度法で測定する・・・と言えば同じですよね。

大切なことなので繰り返しになりますが:

○ リン酸塩の分析は pH 0~1 の強酸性の条件で、ケイ酸塩の分析は pH 2 程度の条件下で行います。

○ 「モリブデンイエロー」「モリブデンブルー」と総称されていますが、中心にある原子がリン酸塩の場合は P、ケイ酸塩の場合は Si なので、物質としては異なるものです。

気象庁海洋観測指針の分析法では、リン酸塩でもケイ酸塩でも還元試薬として(L-)アスコルビン酸 C6H8O6 を用います(下のような簡単な分子構造です)。還元剤はこれに限ったわけではないですが、異なる還元剤を用いると、できあがるモリブデンブルーの吸収ピークまで違ってくることにはご注意。

還元剤として働くと、青い陰を付けた H が外れます

ケイ酸塩の分析法は、リン酸塩の場合と類似の反応を利用しているのですから、その類似性ゆえのトラブルが発生するようではおかしい。たとえば、研究段階の分析法であれば「これから改良」ですむかも知れませんが、元・水の分析屋さんにしてみれば、すでにルーチン的な測定項目になっていて、分析操作の自動化も進んでいました。こんなの間違えるはずがない・・・のでした・・・けどね。

1999年改訂版の「気象庁海洋観測指針」、リン酸塩分析法の測定波長の設定と分析試薬の調製法に不備がありました。上に繰り返し書いた「大切なこと」への理解が抜け落ちていたのです。

 

次回は「どうしてこうなった」の話。

 

リン酸塩とケイ酸塩の分析法 (1)

海、湖沼、河川などの水は、色々な物質を含んでおりますが、それらは必ずしもすべて溶けているわけではありません。無機態で存在することもあれば、有機態になっている場合もあります。栄養塩の分析においても、何を測定するつもりなのか、常に目的意識を明確にしておかなくてはなりません。少なくともこのような分画は理解しておきたいものです:

環境中の栄養塩類の分画

リン P を例にするなら、まず前輪・・・ではなくて、リン Total P。溶存態リン Dissolved P、粒子状リン Particulate P に分ける。前者を 溶存無機態リン Dissolved Inorganic P (しばしば DIP)、溶存有機リン Dissolved Organic P と細分。粒子状の方も、粒子状無機態 Particulate Inorganic P と 粒子状有機態リン Particulate Organic P に細分。

海水をポアサイズ 0.5μmくらいのフィルタで濾過してフィルタ上に残るものが粒子状、水とともに通り抜けたものが溶存態。便宜的な区分ですが、そんなフィルタを通り抜けるコロイド状の物質などを「溶けている」と考えようというのなら、まあ、いいじゃないですか・・・と、元・水の分析屋さんは許しちゃいます。

また、外洋の「きれいな」水は、植物プランクトン由来の粒子が少ないので、粒子状物質有機物も多くはないはず。こういうこともあって、海洋観測の現場で古くから測定されてきたのは、溶存無機態の栄養塩です。

有機態のままでは分析しにくいので、燃焼させるとか酸化剤を添加して加熱するとか、分解の操作を要する・・・ちょっとばかり困難な道に引き込まれてしまいます。ルーチン的な分析を行う現場では、それが面倒だという側面もあります。新発見のインパクトが大きい研究ベースの仕事ほどには頑張れないのです。

 

最初に、栄養塩分析法のよく考えられているところ

北太平洋は世界の大洋の中で最も栄養塩に富んだ海。「ブロッカーのコンベアベルト」との関連で書いたと記憶していますが、海洋深層においては、酸素が乏しいほど、栄養塩が多いほど、「古い」水。大西洋北部や南極周辺で深層に潜って、1000年オーダーの時間を経過して、北太平洋で表層に戻ってくるのですから、話の筋道はきちんと通っております。

となると、北太平洋向けの栄養塩分析法は、高濃度でも測定できるように設定されなくてはなりません。溶存酸素量でもそうなのですが、環境にある水の分析法では、分析対象となる物質の全量を反応させるため、反応試薬の添加量は大過になっています。そうしないと、目的物質の濃度に比例した発色は得られませんし、低濃度から高濃度までの想定される濃度範囲に対応できなくなりますからね。

もうひとつ付け加えて、栄養塩に限った話ではないのですが、水に溶けている物質の濃度を知りたければ、まず分析対象物質と反応して色のある物質を作る試薬(発色試薬)を添加して、サンプルに色を付ける。そして、標準液にもサンプルと同じ操作を施して、特定波長の光で吸光度を測定して比較する、という手順が有力。比色分析、吸光光度法ですね。ウィスキーの水割りの濃さを琥珀色の濃さで判断するのと同じことを精密にやるのです(その判断ができなくなるほど飲まないようにしましょう)。

なお、このブログで紹介する分析法は(旧バージョンを含む)「気象庁海洋観測指針」に記載されたものです。試薬のレシピその他は、縁海までを含む北太平洋の外洋域における栄養塩の濃度範囲を想定して設定されていますので、詳細はそちらを参照してください。

\(・_\)それは(/_・)/おいといて、栄養塩は「窒素、リン、ケイ素」の無機化合物。このうち窒素は、酸化状態が異なる三種類、すなわち、アンモニアアンモニウム)態 NH4-N、亜硝酸態 NO2-N、硝酸態 NO3-N の三種類があるので、後回しにしようと思います。まずは、リン酸塩の分析法から。

 

リン酸塩(Phosphate-P; PO4-P)の分析法

海水中の溶存無機態のリンは、よく「リン酸塩」と呼ばれます。想定されている化学形は「オルトリン酸 H3PO4」でしょう。下に示す分子構造から想像できるでしょうが、水溶液中では最大3つまで水素イオン H+ を出すことができます(三価の酸)。

=O と -OH をもつオキソ酸です

海水中のリン酸塩は、モリブデンブルー法で分析するのがふつうです(ケイ素やヒ素の分析も同様です)。厳密に言うと、この分析法は、溶存無機態のリンのうち、モリブデン試薬と反応できる状態の部分だけ(反応性のリン酸塩と呼ぶことがあります)が対象になります。いくつもの分子が会合してしまうと、引っかかってくれないようです。

原理となる反応を見ていきましょう:

(1)リン酸塩は、強酸性の条件下で12個のモリブデン酸と反応して、モリブデンイエローと呼ばれる黄色の錯体を形成します。

(2)この錯体を適切な還元剤で還元すると、6価のモリブデンの一部が5価に変わり、混合原子価化合物、青色のモリブデンブルーとなります。この物質の青色は、赤外領域の 882nm 付近に吸収ピークをもちます。

 

モリブデンイエローの構造(左)と簡略化した反応式(右)

※ 参照した文献:

Nagul, E.A., I.D. McKelvie, P. Wordfold, S.D Kolev (2015): The molybdenum blue reaction for the determination of orthophosphate revisited: Opening the black box. Anal. Chim. Acta, 2015, 890, 60-82.

安達健太(2020):微粒子に“光”を当てると“色々”見えてくる.化学と教育,68巻,10号,428-429.

論文のタイトルに 'Opening the black box' とあるとおり、モリブデンイエローの構造やモリブデンブルーの青色が何に由来するのかなど、分析原理の肝心な部分を知らないままに用いられてきた手法です。元・水の分析屋さんが30歳にもなっていないころ(あったのか!)、分析法の解説文に「モリブデンイエローを還元してモリブデンブルー・・・」とか書いたら、「この物質のこと、知って書いている?」って上司に訊かれてしまいました。時代が時代なので、あなただってご存じのはずがない。それに、この解説、あなたに頼まれて書いたのですが・・・。まあ、ヨウ素デンプン反応もそうでしたが、モリブデンイエローが何ほどのもんじゃい、カラクリは分からなくても、すぐれた分析法であれば、大いに利用すればよいのです。

試薬類についての注意事項です:

もちろん、定量したいリン酸塩に比べて、モリブデン酸が過剰に含まれている必要がありますし、還元剤となる試薬が異なると、モリブデンブルーの吸収ピーク波長が変わることにも注意が必要です(ここも 'the black box' であった原因の一つ)。

また、リン酸塩の定量は pH 0~1 の範囲で行うのがよいとされています。この pH 領域で発色がもっとも強いことが経験的に知られているだけでなく、pH が 2くらいになると、サンプルに含まれるケイ酸塩が類似の反応を起こして、正確に定量できなくなるのです。強酸性の条件は、ケイ酸塩の反応を遅らせるためにも必須と言えます。

ついでに・・・でもなくて、結構重要なことだと思いますが、pH 0~1 の強酸性条件を作るためには硫酸を用いるとしたものです。硫酸以外によく実験室で見かける強酸としては、塩酸や硝酸があげられますが、どちらもこの分析法には使いたくないのです。

濃塩酸は、濃度35~37%の塩化水素 HCl の水溶液として市販されていますが、フタをあけるたびに HCl が揮発して、実験室に刺激臭がただよいます。実験室内にある各種水溶液に溶けてしまう可能性もないとはいえません。

硝酸も、塩酸ほどではないけれど揮発性があり、光で分解されると二酸化窒素 NO2 を生成します。そもそも、亜硝酸塩、硝酸塩なども定量しようとしている場所に、混ざってはいけないものを持ち込むのは、分析屋さんの発想として失格だと思います。

 

次回は、リン酸塩分析法とそっくりなケイ酸塩の分析法。

 

さかなのエサのエサのエサ

北海道にも待ちわびた春がやってきたようで、そこかしこで植物の成長ぶりが目立っております。海に目を向けても、海水はまだ冷たいとはいえ、植物プランクトンの活動が活発化する季節(のはず)です。

さて、海洋のプランクトンの体を作る物質に関連して、2023/10/28 に「レッドフィールド比」を紹介しましたが、生体を構成する、炭水化物、脂質、タンパク質等の原料となる「栄養塩」については、あまり詳しく書いておりませんでした。自分の最も得意とした分析項目なのに・・・

ということで、今回は海洋における栄養塩の話。以前書いたこととかぶるところもあるでしょうが、そこはご了承ください。

 

陸上の植物には「窒素、リン酸、カリ」

植物の成長について、小・中学生なら「植物は、種子の中の養分を使って発芽する」とか、「植物の成長には、日光や肥料が必要」とか、学習すると思います(i)。また、動物であれば「血液が酸素や養分を体中に運ぶ」でしょうし、「生命を維持するために栄養が必要」のようになるのでしょう。

何が言いたいかというと、明確な定義ではないものの、「肥料」や「栄養」は体の外から取り入れるもの、「養分」は体内で作ったりすでに蓄えていたりするもの、のような使い分けがありそうだということです。特に、「肥料」は、人間が庭の草木や農作物に与えるものというイメージが強いのではないでしょうか。でも、定義ではないし、学術的に認められた用語でもない。くどいようですけど。

さて、人間が植物に与える「肥料の三要素」。これも学校で習うはず(ii) ですが、「窒素、リン酸、カリ(カリウム)」とされています。ホームセンターの農業・園芸関係のコーナーに並ぶ、様々な化成肥料の有効成分です。肥料の袋に「8-8-8」とか「10-5-10」とか表示されているものが多く見られますが、この3つの数字は、窒素-リン酸-カリウム(N-P-K:ハイフンはあったりなかったり)が何パーセント含まれているかを表しています。数値は重量%の表示ですが、各成分をどんな化学形で含んでいるかまでは知りません。悪しからず。

(i), (ii)「学習すると思います」とか「習うはず」とか、はっきりしない半端なことを書いています。元・水の分析屋さん、テレビ・ラジオの講座や図書館の本から、いつの間にか多くのことを学び、時に習いました。小・中学校の授業中には教科書ではない本ばっかり読んでいたので、何年生で何を習ったかよく知らないです。ははははは・・・

N-P-K、どの成分も大切です。窒素 N はアミノ酸のもとでもあり、葉や茎の生育に不可欠。リン P は DNA, RNA の重要な構成成分で、花、種子、果実を充実させる。カリウム K は根や茎を丈夫にして、水分の調節や養分の輸送にも関わる酵素的な役割を果たすといいます。化成肥料の中には、これらの成分が無機物質として含まれており、水に溶けてから植物の根から吸収されるのです。ちなみに、窒素は nitrogen で結構なのですが、リン酸、カリウムを英語にすると phosphate と potassium。N-P-P になってしまうと案配が悪いので、カリウムだけはラテン語系の kalium になっているのでしょう(色々な組織、物質、カラクリの呼称の略語になっているので混乱しそうですから)。

 

海の植物プランクトンには「窒素、リン、ケイ素」

海洋表層で暮らす植物プランクトンは、陸上植物と同様に光合成します。太陽光のエネルギーを使って、二酸化炭素由来の炭素とその他の物質から自らの生体を構成する物質を合成するのです。

陸上の植物の場合、上でいう「その他の物質」の主要部分は「窒素、リン酸、カリウム」なのですが、海の植物プランクトンの場合はちょっと違います。一番の違いはカリウムの地位です。陸地の土壌水と違って、海水中にはアルカリ金属アルカリ土類金属(昔の周期表のⅠa族とⅡa族、今なら1族と2族)がそもそもたっぷり溶けています。なにぶん、主要成分なものですから。

再掲図: カリウムも主要成分 不足することはないでしょう

そして、海水中に存在する量が生物が必要とする量に比べて十分に多ければ、成長の制限因子にはなりません。色々な元素について、生物の体内の濃度と海水中の濃度を比較したのがこちらの表:

Millero (1996) Chemical Oceanography: Second Edition による

ぎゅっと詰まった生命体と濃いめとはいえ溶液との比較、ということで、生体構成物質の 100g あたりの量と海水 1m3(1トンですね)あたりの量で示しています。表中、薄緑の元素は有り余っています。グレーのところは海水中の微量成分ですが、生物の使用量も少ないので、まあ、足りてはいます。クリーム色の元素(酸素と炭素)は、生物が大量に使うのですが、海水中にある量でまかなうことができます。最後の赤っぽいところの「窒素、リン、ケイ素(iii) 」が奪い合わなくてはならないほど不足しているものです。成長の制限因子になりますね。

(iii) 海域によって差はありますが、海洋の植物プランクトンの中で最も多いのが珪藻類なので、ケイ素を特に多く必要とする珪藻類の値を植物プランクトン全体の値と分けて示してあります。

海洋における肥料の三要素は「窒素、リン、ケイ素」を含む無機物。これらをひっくるめて「栄養塩」といいます。おっと、「肥料」は人間がわざわざ与えるものでした。さかなのエサは動物プランクトン、動物プランクトンのエサは植物プランクトンで、植物プランクトンのエサが栄養塩と考えれば、栄養塩は「さかなのエサのエサのエサ」ということになるわけです。

 

次回からは、栄養塩の分析について。

 

これは小馬鹿にしているのに違いない

今日は何もアップする気はなかったのですが、新聞記者さんの妙な言葉遣いへの抗議の意味で。当日のうちに書くだけ書いておきます。

 

本日(2024/04/10)の北海道新聞、地域の話題の紙面です。私は函館市に住んでいるので、道南のバージョンを見ております:

遊覧船にむけて「お出まし」を用いたのはなぜ?

上の記事、おかしいと思いませんか?

大沼公園の遊覧船、冬季には陸揚げされていたところ、春の営業開始に向けて湖面に下ろしたという話題です。あとは、安全運行のために点検・試運転・・・となったのでしょうが、この見出しは何だろう。

「お出まし」は上級の尊敬語ですから、主語は「猊下」「閣下」「殿下」「陛下」・・・であるはずです。大沼公園の遊覧船、稲荷神社のように「正一位」でもいただいているのでしょうか。

元・水の分析屋さんがまだ駆け出しのころのこと、新規業務に向けた話がこじれかけた時と記憶していますが、直属の上司(今で言う課長補佐くらいの方)が「部長にお出まし願わないとね~」と言ったのに大いなる違和感を感じました。長官とかのお出ましならまだしもですが、私もあなたも、お出ましいただきたい部長も、東京メトロの満員電車で通勤していたのですからね。茶化している感、満載なのですよ。

というわけで、残念ながらこの記事を書いた記者さん、無意識のうちに遊覧船の運行に関わる方々に対して、根拠もなく皮肉を込めた(あるいは小馬鹿にするような)表現をしてしまったとしか思えません。あ、もちろん、それを見過ごしたデスクさんも同罪ですから。

 

ついでながら、国定公園の「大沼」は沼なのか湖なのか、という問題も気になります。地元の七飯町のweb ページによると・・・

湖・沼の定義については明確なものがなく、一般的に中央部への湖岸からの植物の侵入を許さない深度(5~10メートル以上)をもつものが湖とされております。これらの資料等より、大沼は湖と判断しております

・・・ということですから、先の記事、はっきりお見せするのもナンなのでぼかしてしまいましたが、「湖面に下ろした」と書いたのは正解です。ここは、よかったみたいですね。

 

揺れる、ゆれる 回る、まわる

鞦韆院落夜沈沈

4/8のこと、「ブランコ」は春の季語です、って、NHK北海道、夕方のニュースでやってました。一方、「滑り台」は季語ではないということでした。まあ、「ジャングルジム」「シーソー」「鉄棒」なども含めた広場や公園の遊具は、冬じゃないよねとは思いますが、季語としては使いにくいかも知れません。

※ バット、ミット、プロテクターは季語ではないはずですが、マスクは冬の季語です(状況は変わりつつあると言いますけどね)。

さてと、「ブランコ」は蘇東坡の詩に出てくる・・・とか語っていましたから、この七言絶句が典拠だというのでしょうか:

 

蘇軾(蘇東坡) 「春夜」

春宵一刻直千金   春宵(しゅんしょう)一刻 値千金
花有清香月有陰   花に清香有り 月に陰有り
歌管楼台声細細   歌管(かかん)楼台 声細細
鞦韆院落夜沈沈   鞦韆(しゅうせん)院落 夜沈沈

<元・水の分析屋さんの訳>
春の宵、一刻に千金の価値がある
花は清らかに香り、月はおぼろに霞んでいる
歌や笛でにぎやかだった高殿も、今は音もかすかになり
ブランコのある宮殿の中庭では、静かに夜が更けてゆく

 

この詩に言及するからには、起句の「春宵一刻直千金」をもっともっと前面に出していただきたいもの。この七文字が、まさに値千金の名句ですからね(直は値と読みましょう)。

\(・_\)それは(/_・)/おいといて、結句に登場する「鞦韆」がブランコ。唐宋のころまでの中国では、宮廷の美女たちが好んでブランコを楽しんでいたといいます。西洋世界でも、やはり高貴な女性たちが定職もなくブラブラしていたようで(あたりまえか~)、このような絵があります:

左:「中国語スクリプト」のページより,右:「ブランコ」 by フラゴナール

左の絵は、女性の裳裾がひらひらとしていますから、当時としてはかなりのお色気が発揮された状況を描いたものと想像できます。蘇東坡の詩に出てきたのは、夜も更けた宮殿の中庭のブランコですから、もう誰も乗っていないのでしょうが、昼間これをこいで黄色い笑い声をたてていたのは、きっと年若く美しい宮廷の女性でしょう。庭のブランコは、皇帝の夜伽のお相手を探す場でもあったかと(i)

右の絵は、不倫の当事者を描いている(左下に描かれたオッサンがエロ男爵)という、まったくもって「不適切にもほどがある」事例。まあ、洋の東西を問わず、「ブランコに乗るのは女性」というのがお約束だということを言いたかったのでした。

(i) こういう想像を働かせるからこそのエロティシズムが存在することは否定できません。右の絵のエロ男爵だって、ひらひらとしたスカートの裾の中をまじまじと見ていますね。ひらひらとしたものに心惹かれるわけですねぇ・・・モーツァルトに「コシ・ファン・トゥッテ Così fan tutte」(女は皆そうしたもの)というオペラ作品がありますが、男だってみんなそうしたものなのです(笑)。

人気お笑いコンビの「男性ブランコ」。ブランコゆうたらおなごはんに決まっとるところを裏切るコンビ名になっています。

 

単振り子と等速円運動

ブランコは、誰かに押してもらったり、自力でこいだりして、揺れの幅を大きくするものですが、物理の試験に登場する振り子は、手伝ってもらうのは動き出すときだけ。この振り子の運動をどのように記述したか、軽く、軽~く復習しましょうか。

糸の片方の端を固定して、反対の端におもりをつける。これを鉛直面の中で振らせるのが単振り子。理想的なものとして、糸は伸び縮みしないで張力のみ働く、おもりは質点とみなせる、振れ幅は微少、重力のほかに外力はない、などを仮定します。

ω は「角周波数」「角振動数」  [rad/s] で表現

上の図の説明、一部不備があるのですが、作り直す元気がありません。高校物理だと、単振動の微分方程式の解を天下り式に教えてしまうのだと思うので、そこは許してもらいましょう。何はともあれ、(5) の解は 2回微分すると符号が変わるだけの三角関数(正弦関数、余弦関数)で表現できそう。そして、三角関数は円と仲良しなので(強引にもってきました!)、等速円運動と結びつけることができます。

http://juken-butsuri.jp/category4/entry23.html よりいただいてます

角周波数 ω で円の上を動く点 P の x 座標だけに注目すると、図の右のような正弦曲線が現れます。ωt の 2π ごとに元通りに戻る周期関数ですね。揺れていたはずのものを回るものとして表現することができました。

 

振り子の等時性

上の (7) 式の右辺は、振り子の長さ l 以外の変数をもちません。したがって、同じ長さの振り子の振動周期は、おもりの重さ m や振れ幅 θ にはよらないことになります(ii)。これを「振り子の等時性」といいます。

(ii) ただし、(3) 式の関係が成り立つ微小な振幅でなくてはなりません(ここ、重要です)。θ のどのくらいの範囲までいけるかは、たとえば、sin θテイラー展開第2項の大きさを評価すれば分かります。ゆるーく考えると30° くらいの振れ幅でもまあいいか、ですが、厳しいことを言えば10° でも気になる人もいます。あなた次第の近似です。あと、おもりの「重さ」で通してきましたが、高校生の物理では「質量」でお願いします(ここも重要です)。

これは、ガリレオ・ガリレイが1583年に発見したそうですね。教会の天井から吊されたランプの揺れ方を見て、大きく揺れても小さく揺れても、一往復するのにかかる時間はほとんど同じだと気づいた。イチャモンをつけるとすれば、ランプが風によって揺られているなど、余計な外力がかかった状態かも知れないので、これだけでははっきりしたことは言えない・・・なのですが、すぐれた観察力の持ち主であったことは間違いありません。

そして、振り子のこの性質を利用して、機械で等間隔に時を刻む仕組みを作って、振り子時計のできあがり。ガリレオと親交のあったホイヘンスが1656~58年ころに発明したとされています。今日では、クオーツの時計だったり電波時計だったりのところ、デザイン的にクラシカル・・・という、正確さには関係ない振り子時計も、数多く出回っていますが。

 

中原中也の目に映ったサーカス小屋のブランコ、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と揺れていました。不安定な心の状態そのままに、一定の周期などもってない揺れであったのでしょう。

 

デンプン、ヨウ素で青くなる

小学校の理科で、デンプンにヨウ素液をポタポタと滴下すると、青紫色になるよ~っていう実験をしませんでしたか? これは「ヨウ素デンプン反応」として、古くから知られていた化学反応ですが、どうして青くなるのかが正しく理解されるようになったのは、元・水の分析屋さんが化学を学び始めた1970年代のこと。それからまだ50年ちょっとしか経ってないのです。

昨年末(2023/12/29)とりあげた、殺虫剤のDDT、初めて合成されたのは1873年でした。大量に使用されるようになったのは第二次世界大戦のころから。特に、1930年代に作られたフレオン(フロン)を噴霧剤にしてからのことと考えてよいのだと思います。

ここで力を込めて言いたいのは、第二次世界大戦のころには、フロンを使ってDDTを極めて効率的に環境に放出できる程度まで、サイエンスもテクノロジーも進歩していたのに、ヨウ素デンプン反応については、その仕組みさえ理解できていなかった、ということです。

詳しいカラクリが分からなくても、利便が得られるなら作って使えばよい。実害が生じなければ、という条件付きですけどね。やっと世間に広まってきた SDGs の 12番目「つくる責任 使う責任  Responsible Consumption and Production」は、ここを意識しなきゃダメじゃんって、私たちに教えているのだと思います。

 

今日は、海洋観測におけるヨウ素デンプン反応の利用について。

 

「海洋観測指針」の溶存酸素量の測定法

大気の主要な成分の一つである酸素は、海水中にもわずかながら溶け込んでいます。この溶解した状態の酸素を溶存酸素といいます。その濃度(溶存酸素量)は、海洋における物理・化学・生物過程と深く関わっており、19世紀から海洋調査の重要な観測項目とされています。

 

溶存酸素の定量は、伝統的に「ウインクラー Winkler 法」(i) によって行われてきました。容易に入手できる器具類と試薬類を用いて、精度よく測定できる優秀な分析法です。手順の概略は以下のとおり:

(i) 論文は Winkler, L W, 1888: Die Bestimmung des in Wasser gelösten Sauerstoffen. Berichte der Deutschen Gesellschaft, 21, 2843-2854. ですが、入手困難でしょうね。


酸素瓶に試料水を採取して、塩化マンガン MnCl2 溶液と、ヨウ化カリウム KI/水酸化ナトリウム NaOH の強アルカリ混合溶液を加えます。強アルカリ性だけに、水酸化マンガンの白色沈殿が生じます。

酸素瓶に蓋をして、上下に転倒させて瓶の中身をよくかき混ぜると、溶存酸素が水酸化マンガンの沈殿を酸化して、沈殿が褐色になります(これを「溶存酸素の固定」といいます)。

北海道大学水産学部・水産化学研究院 の教材ページより

ここに酸を加えて沈殿を溶解させると、マンガン Mn が還元されてヨウ素 I2 が遊離します。

a, b いずれの反応経路をたどっても,海水試料中の溶存酸素 1 mol につき遊離するヨウ素 I2 は 2 mol であることに注意してください。遊離したヨウ素 I2 は過剰に存在するヨウ素イオン I-  と反応して三ヨウ化物イオン I3- をつくるので、これを既知濃度のチオ硫酸ナトリウム Na2S2O3 溶液で滴定します(ii)

(ii) 高校化学で学習するのでしょうが、これは「酸化還元滴定」です。また、多くの文書その他では「遊離したヨウ素 I2 を滴定する」と書かれていると思います。どっちでもいいようなものですが、測定の原理からすると (4), (5) を考えて「I3- を滴定する」方がよいはずです。何しろ、ヨウ素分子 I2 は難溶性の固体なので、溶液になっているからにはイオンの I3- であるべき。

この滴定では、遊離ヨウ素 I2 1 mol につきチオ硫酸イオン S2O32- 2 mol を要しています。したがって、固定された溶存酸素 1 mol につき、チオ硫酸ナトリウム 4 mol が必要であったことになります。この関係から溶存酸素量を間接的に求めることができるのです。

今、用いられているのは、ウィンクラー法の改良版、カーペンター Carpenter 法(ii) ですが、測定原理そのものはまったく変わっておりません。21世紀になって久しいですが、19世紀に始まった分析手法がずーっと続いているのです。

(iii) 以下の二つの論文です:

Carpenter, J H, 1965a: The accuracy of the Winkler method for dissolved oxygen analysis. Limnology and Oceanography, 10, 135-140.
Carpenter, J H, 1965b: The Chesapeake Bay Institute technique for the Winkler dissolved oxygen method. Limnology and Oceanography, 10, 141-143.

 

ヨウ素デンプン反応の登場

溶存酸素量の測定法ばっかりで、ヨウ素デンプン反応、出てこんやないかい! はよ出せ! 金返せ! いえいえ、ここで登場しますから。

滴定対象の溶液中では、(4) の I3- と I2 の間には平衡関係があって、I3- がなくなるタイミングで I2 もなくなります。ところで、三ヨウ化物イオン I3-  が存在する溶液の色は褐色ですから、褐色が消えるところが滴定終点。ですが、この褐色が薄くなると若干黄色みを帯びているだけ。とてもじゃないですが、人間の目ではどこが終点か分からない。

そこで、人間の手分析では、滴定終点が近づいたら、溶液にデンプンを添加して青くして、視認性をよくしてやるのです。デンプンを入れてなぜ青くなるのかは知らなかったけれど、滴定の終点がとても判別しやすくなったから、いいのです。いかにも功利的ですが、それでいいじゃないですか。

 

でも、青くなるカラクリ、知りたいですね。1980年の「化学教育」誌に掲載された論文にはこのように書かれていました:

ヨウ素とデンプンが反応すると美しい青色になる。このことは、中学や高校の理科で習うことなので、多くの人がよく知っている事柄であるが、それではどういう訳でこの色の変化が起こったのかということについては、かなりの専門家でもよく答えられなかった。この数年来、いろんな実験結果が出揃ってきて、やっと一般の読者のための説明を書けることになった。 (ヨウ素-デンプン反応の色,田仲 1980)

こんな仕組みです。

左は wikipedia 英語版から、右は SlidePlayer からいただきました

高分子のデンプンは、水素結合によって「アミロース構造」と呼ばれる上図左のような螺旋(らせん)構造を形成します。そのらせんの中に、ヨウ素がちょうど収まって、電子が過剰な部分から不足ぎみの部分に移動、そのときに生じる可視光の吸収で青く呈色するのです。また、らせんの中に収まるヨウ素は I2 の状態ではなく、上図右のように、らせんの内側で6原子が並ぶ I6 のチェーンになっているそうです。 

デンプンを加熱すると、このらせんが崩れて、ヨウ素も離れてしまうので、青色は消えます。冷却すると再びらせんを形成して、ヨウ素もその中に収まるので、青色が復活します。理科の実験のタネ明かしでした。

はてなの先輩「VCPteam’s blog」 さんによる 2021/11/29 の記事「ヨウ素デンプン反応とデンプンの分解」にも分かりやすい解説がありますよ~。

なお、溶存酸素量の測定で滴定終点を「色が消えたとき」で判断する吸光法は、多くの海洋観測の現場で用いられているのですが、紫外領域の光によって測定しています。I3-  の褐色が薄くなると黄色、補色となるムラサキ方面の光を使うのはなるほどです。ともあれ、優秀な分析装置が色を見てくれるので、もうデンプンを添加して青くする必要はない時代になっています。

試薬瓶のデンプンを切らして、船の厨房から片栗粉を分けてもらったことがあります。何にとろみをつけるのか訊かれて困っていた元・水の分析屋さんとしては、デンプンがいらないことに若干の寂しさを感じます。