「袖振り合うも多生の縁」などと申します。すべての出会いは単なる偶然ではなく、深い宿縁によって起こるもの、ご縁を大切にしましょう・・・
これ、元・水の分析屋さんは「他生」だと思っています。「多生」も「他生」も仏教起源の言葉に違いないでしょうが、ちょっとニュアンスが違う。「他生」だと、現在いただいている命(=生:しょう)とは別の生、前生、前前生、おまけに前前前世・・・あるいは後生かも知れませんが、とにかく今じゃない生でのご縁。「多生」だと六道の輪廻で何度も生まれ変わった、今の生も含まれる多くの生・・・って考えたわけです。前者がよさそうな気がしませんか。どっちでも似たようなものと言う人には、「≧」,「≦」と「>」,「<」はまったく違いますよとお答えしましょう。違いが分かる男、ダバダ~ダバダ~ ・・・ ああ、昭和ですねぇ。
もう一つ、「袖振り合う」じゃなくて「袖擦り合う」だと思っています。というのも、古来、袖を振るというのは、あの有名な万葉集の歌
「あかねさす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」 額田王
のように、相手の心をひこうとする、呪術的な意味を持つ求愛行動だからです(i)。袖振り合ってたら、それは両思いじゃないでしょうか。めでたしめでたし。
(i) 反対向きの言葉で「袖にする」があります。親しくしていた人に冷淡な態度を取るとか、相手との関係を切るという意味。これ、彼氏・彼女に「振られる」・・・の語源になっているのではないかな。
さてと、時代は下って平安時代、やはり袖を振る行為には、ただならぬ意図が感じられます。
「物思ふに 立ち舞ふべくもあらぬ身の 袖うちふりし心知りきや」 光源氏
もちろん源氏物語からです。よく見えるように袖を振りましたが、気持ちは伝わりましたか・・・という歌です。一方、すれ違いざまに袖が擦れるのは、人の意思とは無関係に起こること。どちらが「他生の縁」を語るのにふさわしいでしょうか?
かくして、元・水の分析屋さんは「袖擦り合うも他生の縁」が本来の姿だろうと考えるに至ったのでした。
今回は分子をバラバラにしても何かを組み立てられる話。儲かるわけではないですが、タダでお楽しみいただけるかと思いますので、よろしくお付き合いください。
ダイヤモンドとグラファイト
固体の炭素と言われたらグラファイト。ダイヤモンドを考えてはダメ。前回このように言ってしまいましたが、どちらも炭素 C の単体で、共有結合で作られた結晶なのに・・・不平不満・・・不平不満。いったい何が違うというのでしょうか。
グラファイトとダイヤモンドは、その結晶の構造がまったく違います。グラファイトは六方晶系、ダイヤモンドは等軸晶系。こんな用語を並べててもしょうがないので、図をご覧ください:
自作する元気がないのでwebでみつけた図です。炭素 C が共有結合している点では同じですが、注目する炭素原子からでている枝の数が違います。ダイヤモンドは4本、グラファイトは3本です。ダイヤモンドの結晶は、炭素原子を中心に置いた正四面体の構造が立体的に組み上がっていますが、グラファイトは六角形の平面的な連鎖が作る層が重なった形です。
さて、昨年 12/12 に書きましたが、L殻の電子が4コ余っているようでもあり、オクテットになるには4コ足らないともいえるのでした。なので、炭素原子の価電子は4コ。ダイヤモンドの結晶では、4コの価電子がすべて共有結合に使われています。一方、グラファイトの結晶の場合、共有結合に与るのは4コの価電子のうち3コだけで、1コ余っているのです。図の点線はファンデルワールス力による結合を表しており、重なり合った層の間で余った電子が遊んでいます。そのため、ダイヤモンドは電気を通しませんが、グラファイトには導電性があります。
\(・_\)それは(/_・)/おいといて、ダイヤモンドとグラファイトが違う物質でいられるのはなぜでしょう。言い換えると、結晶の造りの違いだけなのに、どうして相互に転換しないのでしょうか。
エンタルピー(エネルギー)の障壁
それは、乗り越えなくてはならない高い障壁があるから~(チコちゃん風に)。
常温・常圧(典型的なのは標準状態とよばれる25℃, 1気圧)ではダイヤモンドよりもグラファイトの方が、エネルギーが低くて安定して存在できます。しかし、ダイヤモンドがグラファイトに変わろうとすると、価電子4コを供出している共有結合をいったん切断して、3コの電子を使う共有結合を作り直さなくてはなりません。常温・常圧の範囲では、いったん切断するためのエネルギーを得ることはできそうにないみたいです。
ああよかった。大切なダイヤモンドが、ある日突然、真っ黒なグラファイトに変わっているなどということは起こりそうにないです。それはそうと、このエネルギー障壁の高さ、どのように決まっているのでしょうか。
2つの水素原子の相互作用の強さは、原子間の距離の関数になっています。正電荷を帯びた原子核と、その周囲にある負電荷をもつ電子雲(粒子ではなく存在確率で示されるので雲のようにボワッと広がっています)。電気的な相互作用によって、2つの水素原子で構成された系のエネルギーが変化するわけです。
原子同士がずーっと離れていて相互作用がないときのエネルギーをゼロとします。互いに接近して電子雲に重なりができるようになると相互作用が強まり、電気的な引力と斥力のバランスで系のエネルギーが最も低い状態に到達すると、安定した共有結合になります(袖擦り合って? 水素分子 H2 となる)。水素の場合、原子間の距離 74 pm [pico: 10-12]、系のエネルギーはゼロ点よりも下で -7.24×10-19 J(ii) です。
(ii) ずいぶん小さい値(絶対値、ということで)に見えますが、水素分子 H2 1つあたりのエネルギーです。1 mol あれば 6.022 140 76×1023 を掛け算して -4.36×105 J になります。まあ、そこそこ大きいかと。
いろいろな共有結合の長さと結合エネルギーの一覧表を入手してますので・・・
ここに示されたエネルギー値は、結合を切る/破壊するために必要なエネルギーで、上の図の考え方とは符号が反対です。また、原子の組み合わせが同じでも、それが含まれる化合物によってエネルギーには差が生じます。表の値は平均的なものと思ってください。
一例ですが、メタン CH4 の水素原子 H を一つずつ引き剥がす場合、
(1) CH4 → CH3 + H ΔH1= 438.1 kJ mol-1
(2) CH3 → CH2 + H ΔH2= 457.5 kJ mol-1
(3) CH2 → CH + H ΔH3= 426.9 kJ mol-1
(4) CH → C + H ΔH4= 340.5 kJ mol-1
・・・ という文献もあります。結合をすべて切るために Σ(ΔHk) = 1663 kJ mol-1 を要するわけで、これを平均すると(4で割るだけ)415.75 kJ mol-1。上の表の「H-C」の 413 に近い値になります(平均すれば・・・だから、こんなものです)。そして、エネルギーを与えて結合を切ることができるなら、結合させるとエネルギーが出てくるはずです。
しかし、再度結合するときには、この前の C 原子だったかどうか、目印はないので皆目見当が付きません。他生の縁は考えても仕方ない・・・
さて、これに関連して、ヘスの法則の応用問題。試験に出るぞと先生が脅しそうな形。
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グラファイト C と水素 H2 との反応でメタン CH4 を生成させる:
C(s) + 2H2(g) → CH4(g) ですが、グラファイト C(s)、水素 H2(g)、メタン CH4(g) の燃焼エンタルピー(燃焼熱)がそれぞれ -394 kJ mol-1, -286 kJ mol-1, -890 kJ mol-1 のとき、メタン CH4 の生成エンタルピー Q を求めなさい。
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面倒なので燃焼エンタルピーは 1 mol あたりを前提にしますね。まずは燃やします:
さあ、ここから「C(s) + 2H2(g) → CH4(g)」にたどり着きたい。中学生で習う連立方程式の解き方を思い出して。①+②×2 を作れば、左辺は「C(s) + 2H2(g) +2O2(g) 」。右辺は「CO2(g) +2H2O(l) 」となって ③ の右辺と一致! 結局、③の左辺にある「2O2(g) 」まで考えると、①+②×2-③ で「C(s) + 2H2(g) → CH4(g)」になって OK です。
あとは ①+②×2-③ に対応する燃焼エンタルピーを計算するだけ。-394 + (-286)×2 - (-890) = -76。お答えは -76 kJ です。
最後に確認です。こんな計算ができるのは、反応熱の収支は「反応前後の状態のみで決まり、反応の途中経過の物質によらない」というヘスの法則がきちんと成立しているからに他なりませんね、ね、ね。