alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

リン酸塩とケイ酸塩の分析法 (1)

海、湖沼、河川などの水は、色々な物質を含んでおりますが、それらは必ずしもすべて溶けているわけではありません。無機態で存在することもあれば、有機態になっている場合もあります。栄養塩の分析においても、何を測定するつもりなのか、常に目的意識を明確にしておかなくてはなりません。少なくともこのような分画は理解しておきたいものです:

環境中の栄養塩類の分画

リン P を例にするなら、まず前輪・・・ではなくて、リン Total P。溶存態リン Dissolved P、粒子状リン Particulate P に分ける。前者を 溶存無機態リン Dissolved Inorganic P (しばしば DIP)、溶存有機リン Dissolved Organic P と細分。粒子状の方も、粒子状無機態 Particulate Inorganic P と 粒子状有機態リン Particulate Organic P に細分。

海水をポアサイズ 0.5μmくらいのフィルタで濾過してフィルタ上に残るものが粒子状、水とともに通り抜けたものが溶存態。便宜的な区分ですが、そんなフィルタを通り抜けるコロイド状の物質などを「溶けている」と考えようというのなら、まあ、いいじゃないですか・・・と、元・水の分析屋さんは許しちゃいます。

また、外洋の「きれいな」水は、植物プランクトン由来の粒子が少ないので、粒子状物質有機物も多くはないはず。こういうこともあって、海洋観測の現場で古くから測定されてきたのは、溶存無機態の栄養塩です。

有機態のままでは分析しにくいので、燃焼させるとか酸化剤を添加して加熱するとか、分解の操作を要する・・・ちょっとばかり困難な道に引き込まれてしまいます。ルーチン的な分析を行う現場では、それが面倒だという側面もあります。新発見のインパクトが大きい研究ベースの仕事ほどには頑張れないのです。

 

最初に、栄養塩分析法のよく考えられているところ

北太平洋は世界の大洋の中で最も栄養塩に富んだ海。「ブロッカーのコンベアベルト」との関連で書いたと記憶していますが、海洋深層においては、酸素が乏しいほど、栄養塩が多いほど、「古い」水。大西洋北部や南極周辺で深層に潜って、1000年オーダーの時間を経過して、北太平洋で表層に戻ってくるのですから、話の筋道はきちんと通っております。

となると、北太平洋向けの栄養塩分析法は、高濃度でも測定できるように設定されなくてはなりません。溶存酸素量でもそうなのですが、環境にある水の分析法では、分析対象となる物質の全量を反応させるため、反応試薬の添加量は大過になっています。そうしないと、目的物質の濃度に比例した発色は得られませんし、低濃度から高濃度までの想定される濃度範囲に対応できなくなりますからね。

もうひとつ付け加えて、栄養塩に限った話ではないのですが、水に溶けている物質の濃度を知りたければ、まず分析対象物質と反応して色のある物質を作る試薬(発色試薬)を添加して、サンプルに色を付ける。そして、標準液にもサンプルと同じ操作を施して、特定波長の光で吸光度を測定して比較する、という手順が有力。比色分析、吸光光度法ですね。ウィスキーの水割りの濃さを琥珀色の濃さで判断するのと同じことを精密にやるのです(その判断ができなくなるほど飲まないようにしましょう)。

なお、このブログで紹介する分析法は(旧バージョンを含む)「気象庁海洋観測指針」に記載されたものです。試薬のレシピその他は、縁海までを含む北太平洋の外洋域における栄養塩の濃度範囲を想定して設定されていますので、詳細はそちらを参照してください。

\(・_\)それは(/_・)/おいといて、栄養塩は「窒素、リン、ケイ素」の無機化合物。このうち窒素は、酸化状態が異なる三種類、すなわち、アンモニアアンモニウム)態 NH4-N、亜硝酸態 NO2-N、硝酸態 NO3-N の三種類があるので、後回しにしようと思います。まずは、リン酸塩の分析法から。

 

リン酸塩(Phosphate-P; PO4-P)の分析法

海水中の溶存無機態のリンは、よく「リン酸塩」と呼ばれます。想定されている化学形は「オルトリン酸 H3PO4」でしょう。下に示す分子構造から想像できるでしょうが、水溶液中では最大3つまで水素イオン H+ を出すことができます(三価の酸)。

=O と -OH をもつオキソ酸です

海水中のリン酸塩は、モリブデンブルー法で分析するのがふつうです(ケイ素やヒ素の分析も同様です)。厳密に言うと、この分析法は、溶存無機態のリンのうち、モリブデン試薬と反応できる状態の部分だけ(反応性のリン酸塩と呼ぶことがあります)が対象になります。いくつもの分子が会合してしまうと、引っかかってくれないようです。

原理となる反応を見ていきましょう:

(1)リン酸塩は、強酸性の条件下で12個のモリブデン酸と反応して、モリブデンイエローと呼ばれる黄色の錯体を形成します。

(2)この錯体を適切な還元剤で還元すると、6価のモリブデンの一部が5価に変わり、混合原子価化合物、青色のモリブデンブルーとなります。この物質の青色は、赤外領域の 882nm 付近に吸収ピークをもちます。

 

モリブデンイエローの構造(左)と簡略化した反応式(右)

※ 参照した文献:

Nagul, E.A., I.D. McKelvie, P. Wordfold, S.D Kolev (2015): The molybdenum blue reaction for the determination of orthophosphate revisited: Opening the black box. Anal. Chim. Acta, 2015, 890, 60-82.

安達健太(2020):微粒子に“光”を当てると“色々”見えてくる.化学と教育,68巻,10号,428-429.

論文のタイトルに 'Opening the black box' とあるとおり、モリブデンイエローの構造やモリブデンブルーの青色が何に由来するのかなど、分析原理の肝心な部分を知らないままに用いられてきた手法です。元・水の分析屋さんが30歳にもなっていないころ(あったのか!)、分析法の解説文に「モリブデンイエローを還元してモリブデンブルー・・・」とか書いたら、「この物質のこと、知って書いている?」って上司に訊かれてしまいました。時代が時代なので、あなただってご存じのはずがない。それに、この解説、あなたに頼まれて書いたのですが・・・。まあ、ヨウ素デンプン反応もそうでしたが、モリブデンイエローが何ほどのもんじゃい、カラクリは分からなくても、すぐれた分析法であれば、大いに利用すればよいのです。

試薬類についての注意事項です:

もちろん、定量したいリン酸塩に比べて、モリブデン酸が過剰に含まれている必要がありますし、還元剤となる試薬が異なると、モリブデンブルーの吸収ピーク波長が変わることにも注意が必要です(ここも 'the black box' であった原因の一つ)。

また、リン酸塩の定量は pH 0~1 の範囲で行うのがよいとされています。この pH 領域で発色がもっとも強いことが経験的に知られているだけでなく、pH が 2くらいになると、サンプルに含まれるケイ酸塩が類似の反応を起こして、正確に定量できなくなるのです。強酸性の条件は、ケイ酸塩の反応を遅らせるためにも必須と言えます。

ついでに・・・でもなくて、結構重要なことだと思いますが、pH 0~1 の強酸性条件を作るためには硫酸を用いるとしたものです。硫酸以外によく実験室で見かける強酸としては、塩酸や硝酸があげられますが、どちらもこの分析法には使いたくないのです。

濃塩酸は、濃度35~37%の塩化水素 HCl の水溶液として市販されていますが、フタをあけるたびに HCl が揮発して、実験室に刺激臭がただよいます。実験室内にある各種水溶液に溶けてしまう可能性もないとはいえません。

硝酸も、塩酸ほどではないけれど揮発性があり、光で分解されると二酸化窒素 NO2 を生成します。そもそも、亜硝酸塩、硝酸塩なども定量しようとしている場所に、混ざってはいけないものを持ち込むのは、分析屋さんの発想として失格だと思います。

 

次回は、リン酸塩分析法とそっくりなケイ酸塩の分析法。