alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

観測データが語る海洋深層の循環

ここのところ(昨年来)、三陸沖の表層水温が高い状態が続いております。気象庁としては、この海域の黒潮系水の北限を100m深水温15℃で見ていますから、下の図によれば、東経146度付近で北緯40度よりもちょっと北まで届いています。

海面水温なら衛星からも見えるけれど・・・

この海域での海洋観測の経験はそれなりにあるつもりの元・水の分析屋さんですが、極めて珍しいことだとは思います。でも、黒潮系水北限の「平年」の位置がどのあたりなのか、本当はよく分からないので、何とも言えないと思います。

上の図に示されている100m深水温場は、数値モデルの計算結果に、人工衛星による海面水温データ、船舶、ブイ、中層フロートなどの観測で得られた鉛直方向のデータなども加えて、総合的に解析して作られたものです(データ同化、といいます)。数値モデルは海洋の諸現象を物理的に無理がないように再現してくれますが、データがまばらなところでも実際の現象を正確に表現する保証はありません。

過去の観測データを数値モデルに投入してやれば、30年分の100m深水温場を作ることができ、ひいては平年値も計算できますが、観測点の位置と観測時刻がきちんとそろっている気象観測データに基づく「函館の1月の平年気温」のような情報とは性格がかなり違います。上のような図が実際の水温場と一致しているかどうかは確かめようがないのです。

海面水温なら、衛星による観測で面的なデータが取得できますが、海面よりも下の層ではまばらなデータしか使えません。何かにつけ平年と比べたくなる気持ちは理解していますが、海の話で平年を扱うときには、そこらあたりのことを意識していただきたいと思います。

 

\(・_\)それは(/_・)/おいといて、「ブロッカーのコンベアベルト」の話。

 

溶存酸素量と栄養塩濃度の関係(復習)

昨年 10/28 の記事の復習です。海の中で CO2 有機物に固定されるとき、レッドフィールド比が保たれていれば、次式のような反応が想定されます:

レッドフィールド比を仮定した「光合成 ↔ 酸化分解」の式

上の式は、左向きが光合成による有機物の生成を、右向きが有機物の酸化分解による無機物の生成を、それぞれ表しています。酸素が消費されると栄養塩が生成され、酸素が生成されるときには栄養塩が消費されている、というのが基本の関係でした。

海水中の酸素は、植物プランクトン光合成を除けば、大気から海面を通じて溶け込む以外にソースはありません。したがって、海水が太陽の光が届かない深さまで移動した後は、溶けている酸素は上層から沈降してくる有機物の分解で消費される一方になります。そして同時に、無機態となった栄養塩(硝酸 HNO3、リン酸 H3PO4 や上の式には出ていないケイ素 Si の化合物など)が生成されます。

つまり、まわりの海水との間で物質のやりとりがなければ、時間の経過とともに溶存酸素量は減少し、栄養塩の類いは増加することになります。海洋深層においては、酸素が乏しいほど、栄養塩が多いほど、「古い」水、ってことです。

 

ブロッカーのコンベアベルトの誕生過程

まずは、もう変わりようがないものですが、最新版といえそうな図を示しておきます:

Lozier (2010):  Deconstructing the Conveyor Belt. Science, Vol. 328, No. 5985, pp. 1507-1511

あの有名な Science 誌の記事に登場した図ですが、海洋大循環の「概略」なのですから、マダガスカルニュージーランドの下を通過するんかい、とか、ニューギニアやジャワ島には上陸するんかいとか、余計なツッコミを入れてはいけません。大西洋北西部のグリーンランド周辺で高塩分の水が冷やされて高密度になって沈降して、深層で南向きに流れて、南極の周囲を回って、インド洋と太平洋に分岐して、北上した最後のところで浮力を得て表層に戻り、表層流が再び北大西洋に戻っていく、という大規模な循環だというところをきちんとおさえましょう。

ブロッカー博士がどのようにこの循環像を形作っていったのか、ほんの一部分だけですが簡単に紹介しようと思います。

1972年から翌73年にかけて、GEOSECS(Geochemical Ocean Sections Study)とよばれる全球的な海洋の三次元的観測が行われました(鉛直断面分布図を作るわけです)。観測対象となったトレーサー(i) は、"chemical, isotopic, and radiochemical tracers" といいますから、海洋観測で通常分析する化学成分や溶存金属元素に加えて、同位体の存在比や、放射化学的なトレーサー(トリチウム 3H、炭素-14 14C など)まで、元・水の分析屋さん的には「精密に測定できる成分なら何でも役立てる」といった様相を示しているように見えます。

(i) トレーサー tracer とは、その名のとおり「追跡」するために使う物質のことです。

それでは、「大西洋北西部のグリーンランド周辺で沈降」のところから。

1945年から1963年にかけて行われた大気圏内の核実験によって、大量の核分裂生成物が放出されました。核実験は主に北半球の成層圏で行われたので、大気の循環によって北半球全域に放射性物質が拡散されました(南半球にはほとんど飛んでいない)。

※ 元・水の分析屋さんたち世代の男子は「放射能が入った雨に濡れたらハゲる」と大騒ぎしながら育ちましたが、その後の頭の状況は個人差が圧倒的に大きいようです。

トリチウムも天然起源の存在量の 200倍以上が地上に放出されたと考えられていて(1.8~2.4×1020 Bq;たとえば、柿内秀樹(2018):日本原子力学会誌,Vol.60,No.9,31-35.)、GEOSECS の重要な観測項目になりました。

北緯60度付近で海底地形に沿って明瞭な沈降がみられる

トリチウム濃度の分布から、グリーンランド周辺で海底に達するような沈降が生じていることは明らかです。
※ 断面図の数値の単位は右上にある「TU81N」です。水素の同位体トリチウムは、存在比が小さいので、水素原子 1018コあたりトリチウムが 1コあるときに 1 TU(トリチウムユニット)と表現します。その後に続く「81N」は、トリチウムの放射性壊変による減衰を考慮して 1981年1月時点の値に標準化 Normalize したことを示します。

次に、海洋深層(4000m深)の溶存酸素量と栄養塩の濃度分布から、流動パターンを想定するところです。

大陸の形状が極度にデフォルメされてますのでご注意

大陸の形状がおかしいのですが、「SO.AMER. 南アメリカ」「AFRICA アフリカ」「EURASIA ユーラシア」「S.E.ASIA 東南アジア」「AUST. オーストラリア」「NO.AMER. 北アメリカ」などがみつかれば何とかなるでしょう。

ケイ酸塩、硝酸塩のいずれも、大西洋北部(図の左上)から南半球へと増大し、そこから太平洋を北上して(図の右上)さらに増大していきます。溶存酸素量は、同じルートをたどって減少していることがはっきりと分かります。で、溶存酸素量と栄養塩濃度の関係から考えれば、時間がたくさん経過しているほど下流側ですから、めでたく右下の「流動パターン」へとつながるわけです。

南極を周回するところまで考えた

上でみつけた流動パターンをさらに抽象化していきます。実線をたどってみましょう。北大西洋深層水の「Source」があって、南極のところで「Recooling」されたものと合流します。南極を回るうちにインド洋と太平洋に分岐していますね。ところどころにある「⚫」は表層に戻ってきたところで、そこから破線をたどって再び北大西洋に帰ってゆきます。

元図のできあがり

この図は Broecker (1991) "The Great Ocean Conveyor" の pdf をゲットしたのでそこからとりましたが、1987年の論文が初出らしいです(有料のものまでは手を出さない)。

海洋大循環の数値モデルを使わなくとも、GEOSECS をはじめとする尊い努力の結晶である膨大なデータから美しい循環像が描き出されました。モデルで予測することも大切ですが、それを可能にするのは観測データ。