alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

デンプン、ヨウ素で青くなる

小学校の理科で、デンプンにヨウ素液をポタポタと滴下すると、青紫色になるよ~っていう実験をしませんでしたか? これは「ヨウ素デンプン反応」として、古くから知られていた化学反応ですが、どうして青くなるのかが正しく理解されるようになったのは、元・水の分析屋さんが化学を学び始めた1970年代のこと。それからまだ50年ちょっとしか経ってないのです。

昨年末(2023/12/29)とりあげた、殺虫剤のDDT、初めて合成されたのは1873年でした。大量に使用されるようになったのは第二次世界大戦のころから。特に、1930年代に作られたフレオン(フロン)を噴霧剤にしてからのことと考えてよいのだと思います。

ここで力を込めて言いたいのは、第二次世界大戦のころには、フロンを使ってDDTを極めて効率的に環境に放出できる程度まで、サイエンスもテクノロジーも進歩していたのに、ヨウ素デンプン反応については、その仕組みさえ理解できていなかった、ということです。

詳しいカラクリが分からなくても、利便が得られるなら作って使えばよい。実害が生じなければ、という条件付きですけどね。やっと世間に広まってきた SDGs の 12番目「つくる責任 使う責任  Responsible Consumption and Production」は、ここを意識しなきゃダメじゃんって、私たちに教えているのだと思います。

 

今日は、海洋観測におけるヨウ素デンプン反応の利用について。

 

「海洋観測指針」の溶存酸素量の測定法

大気の主要な成分の一つである酸素は、海水中にもわずかながら溶け込んでいます。この溶解した状態の酸素を溶存酸素といいます。その濃度(溶存酸素量)は、海洋における物理・化学・生物過程と深く関わっており、19世紀から海洋調査の重要な観測項目とされています。

 

溶存酸素の定量は、伝統的に「ウインクラー Winkler 法」(i) によって行われてきました。容易に入手できる器具類と試薬類を用いて、精度よく測定できる優秀な分析法です。手順の概略は以下のとおり:

(i) 論文は Winkler, L W, 1888: Die Bestimmung des in Wasser gelösten Sauerstoffen. Berichte der Deutschen Gesellschaft, 21, 2843-2854. ですが、入手困難でしょうね。


酸素瓶に試料水を採取して、塩化マンガン MnCl2 溶液と、ヨウ化カリウム KI/水酸化ナトリウム NaOH の強アルカリ混合溶液を加えます。強アルカリ性だけに、水酸化マンガンの白色沈殿が生じます。

酸素瓶に蓋をして、上下に転倒させて瓶の中身をよくかき混ぜると、溶存酸素が水酸化マンガンの沈殿を酸化して、沈殿が褐色になります(これを「溶存酸素の固定」といいます)。

北海道大学水産学部・水産化学研究院 の教材ページより

ここに酸を加えて沈殿を溶解させると、マンガン Mn が還元されてヨウ素 I2 が遊離します。

a, b いずれの反応経路をたどっても,海水試料中の溶存酸素 1 mol につき遊離するヨウ素 I2 は 2 mol であることに注意してください。遊離したヨウ素 I2 は過剰に存在するヨウ素イオン I-  と反応して三ヨウ化物イオン I3- をつくるので、これを既知濃度のチオ硫酸ナトリウム Na2S2O3 溶液で滴定します(ii)

(ii) 高校化学で学習するのでしょうが、これは「酸化還元滴定」です。また、多くの文書その他では「遊離したヨウ素 I2 を滴定する」と書かれていると思います。どっちでもいいようなものですが、測定の原理からすると (4), (5) を考えて「I3- を滴定する」方がよいはずです。何しろ、ヨウ素分子 I2 は難溶性の固体なので、溶液になっているからにはイオンの I3- であるべき。

この滴定では、遊離ヨウ素 I2 1 mol につきチオ硫酸イオン S2O32- 2 mol を要しています。したがって、固定された溶存酸素 1 mol につき、チオ硫酸ナトリウム 4 mol が必要であったことになります。この関係から溶存酸素量を間接的に求めることができるのです。

今、用いられているのは、ウィンクラー法の改良版、カーペンター Carpenter 法(ii) ですが、測定原理そのものはまったく変わっておりません。21世紀になって久しいですが、19世紀に始まった分析手法がずーっと続いているのです。

(iii) 以下の二つの論文です:

Carpenter, J H, 1965a: The accuracy of the Winkler method for dissolved oxygen analysis. Limnology and Oceanography, 10, 135-140.
Carpenter, J H, 1965b: The Chesapeake Bay Institute technique for the Winkler dissolved oxygen method. Limnology and Oceanography, 10, 141-143.

 

ヨウ素デンプン反応の登場

溶存酸素量の測定法ばっかりで、ヨウ素デンプン反応、出てこんやないかい! はよ出せ! 金返せ! いえいえ、ここで登場しますから。

滴定対象の溶液中では、(4) の I3- と I2 の間には平衡関係があって、I3- がなくなるタイミングで I2 もなくなります。ところで、三ヨウ化物イオン I3-  が存在する溶液の色は褐色ですから、褐色が消えるところが滴定終点。ですが、この褐色が薄くなると若干黄色みを帯びているだけ。とてもじゃないですが、人間の目ではどこが終点か分からない。

そこで、人間の手分析では、滴定終点が近づいたら、溶液にデンプンを添加して青くして、視認性をよくしてやるのです。デンプンを入れてなぜ青くなるのかは知らなかったけれど、滴定の終点がとても判別しやすくなったから、いいのです。いかにも功利的ですが、それでいいじゃないですか。

 

でも、青くなるカラクリ、知りたいですね。1980年の「化学教育」誌に掲載された論文にはこのように書かれていました:

ヨウ素とデンプンが反応すると美しい青色になる。このことは、中学や高校の理科で習うことなので、多くの人がよく知っている事柄であるが、それではどういう訳でこの色の変化が起こったのかということについては、かなりの専門家でもよく答えられなかった。この数年来、いろんな実験結果が出揃ってきて、やっと一般の読者のための説明を書けることになった。 (ヨウ素-デンプン反応の色,田仲 1980)

こんな仕組みです。

左は wikipedia 英語版から、右は SlidePlayer からいただきました

高分子のデンプンは、水素結合によって「アミロース構造」と呼ばれる上図左のような螺旋(らせん)構造を形成します。そのらせんの中に、ヨウ素がちょうど収まって、電子が過剰な部分から不足ぎみの部分に移動、そのときに生じる可視光の吸収で青く呈色するのです。また、らせんの中に収まるヨウ素は I2 の状態ではなく、上図右のように、らせんの内側で6原子が並ぶ I6 のチェーンになっているそうです。 

デンプンを加熱すると、このらせんが崩れて、ヨウ素も離れてしまうので、青色は消えます。冷却すると再びらせんを形成して、ヨウ素もその中に収まるので、青色が復活します。理科の実験のタネ明かしでした。

はてなの先輩「VCPteam’s blog」 さんによる 2021/11/29 の記事「ヨウ素デンプン反応とデンプンの分解」にも分かりやすい解説がありますよ~。

なお、溶存酸素量の測定で滴定終点を「色が消えたとき」で判断する吸光法は、多くの海洋観測の現場で用いられているのですが、紫外領域の光によって測定しています。I3-  の褐色が薄くなると黄色、補色となるムラサキ方面の光を使うのはなるほどです。ともあれ、優秀な分析装置が色を見てくれるので、もうデンプンを添加して青くする必要はない時代になっています。

試薬瓶のデンプンを切らして、船の厨房から片栗粉を分けてもらったことがあります。何にとろみをつけるのか訊かれて困っていた元・水の分析屋さんとしては、デンプンがいらないことに若干の寂しさを感じます。