函館市の津軽海峡側と日本海側の江差町でイワシなどが大量に漂着しました。三重県志摩市でもママカリやイワシが漂着して大量死しています。地元自治体は処分に追われているところですが、そんな中で、大量死の原因を「Fukushima」(処理水の放出)に結びつける投稿が多く見られるようになったそうです。困ったちゃんがたくさんいるようですね。元・水の分析屋さんはあきれ果てております。
10/5 「リスクの評価」で書いたことですが、繰り返しておきます:
トリチウムから出るβ線のエネルギーは低く(最大エネルギーで 18.6 keV)、空気中で最大 5mm、水中では最大 0.006mm しか飛ばないと言われています。体外からの被ばくはまず考えられない。体内に取り込んだとしても濃縮される可能性は低いとされているので、生物体の組織への影響も大きくはないはず。
一方、私たちの体内には半減期12.77億年のβ線放出核種、カリウム40 40K が数千ベクレル分存在します。トリチウムは体内に数十ベクレル存在するそうですから、多少の生体濃縮を見込んだとしても、存在比は2桁違うでしょう。また、40K の出すβ線の最大エネルギーは 1.311 MeV。これもトリチウムを2桁上回ります。したがって、トリチウムのβ線の影響は 40K の出すβ線の10,000分の1 程度と評価できそうです。交通事故に遭う確率を考えると外出できない・・・とおっしゃるなら、しょうがない。
ついでですが、海水中には天然のウランが溶けています。ウランはα壊変する核種ですが、下図のような壊変系列があります(α壊変は下向き、β壊変は右上向きの矢印)。
天然ウランの大半を占める同位体は 238U で、α線を出してトリウム 234Th になり、それがβ線を出してプロトアクチニウム 234Pa になり、さらにβ線を出して 234U に変わります。2回放出されるβ線の最大エネルギーは 0.199 MeV と 2.27 MeV。トリチウムから放出されるβ線よりも1桁~2桁も高エネルギーです。これが海水 1 m3 あたり80~90ベクレルあるのですが、海水浴に出かけた人が放射線障害になった話など聞いたことがありませんし、ずーっと海水の中で暮らす生物が被ばくによって大量死した例はこれまでにないはず。ましてや、処理水が放出されている福島沖でさえトリチウム濃度は検出限界以下なのに、数百キロメートル離れた海域の生物大量死の原因になると考えるとは、元・水の分析屋さんの理解の遥か斜め上です。
天然の放射性核種から出てくる放射線は無害で、人為的な起源をもつ放射線はごくわずかであっても有害だと考えているのでしょうか。残念ながら、放射線には天然起源と人為起源を見分けられるような目印はついておりません。地上 10km 以上の高度では海面の約150倍の宇宙線(立派な放射線です)が降り注いでいると言います。飛行機で海外旅行に出かけるときには、相当量の被ばくを覚悟しておかなくてはいけません・・・そんなことはないですよね。
科学的根拠のある情報をもとにして、正しくリスク評価していただきたいものです。
では、今回は様々なところで登場する数値の表現について。
有効数字の考え方
○ はがきの長辺の長さを最小目盛りが 1 mm の物差しで測ったら、14.7 cm と 14.8 cm の間になったとしましょう。この測定値を 14.7 cm とするよりは 14.75 cm にしておく方がよいと思いませんか。本当の長さに近いはずですし。
○ 先月末に決まった補正予算の額ですが、一般会計の歳出総額で13兆1992億円とのこと。日本経済新聞(web版)の見出しは「13.1兆円」になっていました。小学校4年生であれば、ここの端数処理は四捨五入で「13.2兆円」にするのだと思います。
はがきの長辺の例だと「14.75」の最後の桁は誤差を含みますが、測定値としての意味はあります。補正予算の方は、端数処理を済ませているので(千億の桁未満を切り捨て)意味を認めたのは「13.1」の3つの数字です。いずれも示された全部の数字に意味があります。
ところが、補正予算「13.1兆円」を「13兆1000億円」と表現すると困ったことがおきます。私たちは下線を引いた「000」は空位を埋めるためのもので、正しい値とは関係ないことを知っていますが、初めてその数値を見た人にはそんなことが伝わるはずがないのです。
ということで、どこまでが意味のある数値か、言い換えると「有効数字はどこまでか」が分かるようにする方がよい。特に、科学技術の世界では必須です。有効数字が明確に示されなくては、正しい議論ができなくなってしまいます。
指数表記のススメ
正しい議論ができなくなる実例を一つだけ。
塩化ナトリウム 8.6 g を 999.689 g の蒸留水に溶解させると合計の質量は・・・
電卓をたたけば 1008.289 g と言う答えが出ますが、これではまずいです。8.6 g は果たして 8.600 g の桁まで正しいのか。ふつうは 8.55 以上 8.65 未満、8.6±0.05 じゃないだろうか。それなら蒸留水の方も 999.689±0.0005 g と考えて 1008.289±0.0505 g としますか・・・あれれ、1008.2385 以上 1008.3395 未満になってしまうではないですか。有効数字の桁がそろっていないのに足し算をしたせいで全桁数が増えてしまったのです。
こんな困り方をしないように、有効数字を明示するのが指数表記。みなさんよくご存知のとおり「A × 10n」(A は絶対値 1 以上10 未満の有限小数(i)、n は整数)の形をとります。
(i) たまに 24.2×103 などという表記も出てきますが、何事にも例外はあります。まあ、いいじゃないですか。
指数表記には二つの利点があります。ひとつには、大小関係の比較が簡単であること。正の数同士を比較するとき、まず指数部分「10n」に注目して n を比較できます。十進表示での桁数を一目で見るようなものです。もう一つは、繰り返しになりますが、有効数字が明示されていること。A で表示された数字は、最後の桁に「0」があってもその桁までが有効数字です。
注意しておきたいのは、有効数字は数値を丸めた(端数処理を施した)結果と考えられる、ということです。いくつもの数値を扱うとき、関数電卓をたたいて求めた最終的な答えを丸めてみて、その値が不確かさに比べて十分に大きいのでないと意味をなしません。とはいえ、有効数字の桁数が最も小さい数値に合わせて丸めておけば、たいていはそのようになるはずです。
塩素の原子量で困った話
web上で見かけた問題ですが、扱いに困ってしまったので紹介させてください:
塩素には質量数35と37の二つの安定同位体があります。相対質量は 35Cl が 34.97、37Cl が 36.97 です。また、その存在比は 35Cl が 75.77%、37Cl が 24.23% です。塩素の原子量を有効数字3桁で求めなさい。
有効数字3桁で答えるので、
(1) 途中計算は、求める答えより1桁多い4桁を残して以下を切り捨て
(2) 最終的な答えだけ、残しておいた4桁目を四捨五入して3桁とする
・・・という規則で計算を進めるというのですが、
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a) 34.97×0.7577 = 26.4967 → 4桁を残して以下を切り捨て
b) 36.97×0.2423 = 8.95783 → 4桁を残して以下を切り捨て
c) 26.49+8.957 = 35.447 → 4桁を残して以下を切り捨て
残しておいた4桁目を四捨五入して
35.44 → 35.4 これが有効数字3桁の答え
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最終的な答え「だけ」って断っているのだから、「途中計算」とは、a) から c) までの計算を指すんじゃないのですかね~。それぞれの段階で切り捨てるのでなければ、最終的な答えは、34.97×0.7577 + 36.97×0.2423 = 35.4546。この4桁目を四捨五入すると 35.5 ですよ。そこらへんで出回っている周期表だって、35.45 になっているのや 35.452 のは見つかりますが、35.4, 35.44 になっているのはないはずです。
念のために、「日本化学会 原子量専門委員会」による「原子量表(2017)」も参照しましたが、同位体の存在比の変動のため、塩素の原子量は [35.446 , 35.457]の範囲にあるとのこと。区間の真ん中の値は 35.4515 ですから、有効数字3桁ならやはり 35.5 が妥当だと思います。
元・水の分析屋さんもそうでしたが、受験生の皆さんの多くは「塩素の原子量は 35.5」という「基礎知識」をお持ちかも知れません。それなのに、有効数字とやらにこだわって計算したら違う答えが出てくるとは。責任者、出てこぉい!