alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

空気の発見 (5)

健康増進のためにオゾンを胸いっぱい吸い込む、なんていうフレーズをウェブ上で見かけました。いやぁ、困ったものです。まずは下表をご覧あれ:

酸化還元電位・・・高い値を示すものほど強い酸化剤です

酸化力の強い過酸化水素(オキシフルとか)や次亜塩素酸(台所用の漂白剤とか)、消毒用によく用いられることはご存知でしょうが、オゾンO3 はそれよりも強力な酸化力をもっています。高濃度のまま胸いっぱいに吸い込んでしまうと、鼻腔・喉・気管・肺など、呼吸器全体がオゾンO3 で酸化されてしまうでしょう。むせるどころではすみませんよ・・・

オゾン分子

オゾン O3 の分子は上の図のような折れ線型です。多くの受験生は「酸素は手が二つある」みたいな覚え方をするでしょうが、この分子の真ん中にある酸素原子は左右どちらの酸素原子とも手をつながないといけません・・・両側から手をつなごうよと迫られ、モテてモテて困ってます(i)(困り加減が破線での表現ということで)。真ん中の O がプラス電荷を帯びていて、左右どちらかの O がマイナス電荷を持つのですが、二つの状態の共鳴構造にあるとみるものらしい。こんな三角関係が安定して継続できるはずはない。残念でも片方とはお別れしましょう。さっさとどちらかの O さんと手を切って別のものと反応させ、残った二人でふつうの酸素分子 O2 になればよい。めでたくナイスカップル、O2 に毒性はありません。オゾンによる消毒は後腐れがないのですね・・・

(i) 古くはこういう状態を MMK と言いました。DAIGO です。

 

いらない話をしてしまいました。たとえ低濃度であってもオゾンは臭いはずですから、胸いっぱいでなくても吸わないに限ります。よい子はマネをしないでね、です。

 

では、元・水の分析屋さんが大感動したアルゴン発見の物語。

 

「怠惰な」元素、アルゴン

空気の成分が認識された/発見された順を振り返ってみましょう。微量成分の二酸化炭素がそれと認識され、主要成分の窒素、酸素がそれに続きました(フロジストン理論の影響からは抜けられませんでしたが)。窒素と酸素は空気の99%を占めますが、残る1%ほどがようやくみつかる話をします。

水素の発見者として登場してもらったキャベンディッシュは、空気中の窒素と酸素を反応させて、生成した窒素酸化物と過剰に加えた酸素を除去する実験を繰り返して、元の空気の約 1/120の気体が残ることを確かめていました。1785年のことだといいますから、ラヴォアジェのオキシジェーヌ説と従来のフロジストン説が戦っていた頃です。しかし、彼の研究はここで止まっており、残留気体の正体を特定するには至りませんでした。アルゴン発見までにはさらに1世紀を要したのです。

アルゴン発見の立役者お二人

1887年、イギリスのジョン・ウイリアム・ストラット(レイリー卿)は王立研究所教授に就任し、精密な測定機器を使っていくつもの気体密度を計測しました。そうするうちに、空気から酸素、二酸化炭素、水蒸気、水素など、当時既知であった成分を除去して得られる窒素の密度は、アンモニアを分解して得た窒素より0.5%程度大きいということに気づきました。測定誤差の原因となる不純物が試料に含まれないように工夫を凝らしても結果は同じ。これは、空気には窒素よりも重い混じり物があることを示唆します。レイリー卿は、1892年、これを Nature誌に投稿して広く意見を求めました。

窒素分子が解離したり会合したりしてはいないか(オゾンO3 からの類推でN3 とか)などの話は、電気放電を浴びせても、長期間放置しても何の変化もないことから、きわめて考えにくい。多くの学者さんたちが意見を交わしますが、これといった進歩はありませんでした。
1894年4月、ラムゼーはレイリー卿の講演に参加、そこから二人の共同研究が始まります。空気から得られた窒素を用いて、高温化でマグネシウムと反応させて窒化マグネシウム Mg3N2 を作って除去してゆくと、わずかに気体が残りました。その密度は明らかに普通の窒素よりも大きく、しかも、その気体はどんな化学処理によっても反応する気配がないのです。

ラムゼーはこの結果を同年8月にレイリーに知らせます。そして、みつけた気体をアルゴンと名付け、1895年にレイリー卿と連名で発表しました。「アルゴン」という名前はギリシャ語で「怠惰な」を意味する「αργον」から 名付けられたそうです。反応しないとは怠惰である、とみなされるのでしょうかね~。

なお、ラムゼーはその後、不活性な気体がアルゴン以外にもあることに気が付き、ネオンやクリプトンの分離にも成功します。

 

「アルゴン」発見の価値

こんな見出しをつけたものの、元・水の分析屋さんごときが、偉大な発見の価値を語るのはおこがましい限り。ここは専門家による評価を引用させてください。

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レイリーとラムゼーはこのあとなお研究をすすめ、すこしでも疑問や批判の余地のある点は徹底的に検討して、その研究を完全なものにした。かれらはいっている。
“大気中にアルゴンが存在する証拠は、大気窒素と化学窒素の密度の比較、および拡散実験から見て、決定的であるとおもわれるが、われわれはこの証明を完璧にするに役立つことなら、いかなる労をもおしんではならないとかんがえた”。
(中略)
アルゴンほど、発見者によって徹底的に研究された元素は類がない。アルゴンの発見は、化学史上における模範的な研究の一例である。
アルゴンの発見は、べつにむずかしい理論から発したものではない。レイリーが気体の密度の測定という、きわめて地味な、先端的研究からはほど遠い、やり古された問題をつっついていて、そこに見出したほんのわずかの測定値のちがいを気にしたことから出発したのである。新しい理論も、新しい実験技術も、あったのではない。その研究に、特別精巧な実験機械とか新しい測定機器がもちいられたわけでもない。測定器は、古来のテンビンだけであった。
しかもそこから掘り出されたアルゴンは、やがて他の不活性気体の発見をみちびき、0族(ii) という特異な元素群を周期表にくわえ、その後の化学の進歩にはかり知れない大きい影響をもつことになった。たとえば、20世紀に入って原子の構造、原子間の化学結合ということが本格的に考察されてきたとき、アルゴン以下の0族元素はもっとも重要な意味を持つ key element であったし、そのことは今も変わりはない。
元素中でも特異な地位を占める元素アルゴン――それを発見したのは、ただ、レイリーとラムゼーの英知と努力である。

 

奥野久輝(1974):アルゴンの発見,化学教育,22巻2号,142-146.

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(ii) 10/09 の投稿を参照。1988年に IUPACが各列に 1~18の番号を振って、アルカリ金属とアルカリ土類は「1族」「2族」に、「0族」だった貴ガス(不活性ガス)は「18族」に変わりました。現代版の周期表を載っけておきますね(自分でまとめたものです。問題点がありましたらご指摘ください)。

元素の周期表

※ 1904年、レイリー卿は「気体の密度に関する研究、およびこの研究により成されたアルゴンの発見 」によりノーベル物理学賞を、ラムゼーは「空気中の貴ガス元素の発見と周期律におけるその位置の決定」によりノーベル化学賞を受賞しています。

 

次回は、18族「貴ガス」のことを少し詳しく。