alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

「空気」の発見 (2)

前回紹介したアリストテレスの物質観は、私たちが⽇常的に目にする物質の変化や運動を巧みに説明してくれるものでしたが、熱・冷・乾・湿などは、⼈間の感覚知覚に基づいた相対的であやふやなものだとして納得しない人もいました。
たとえば、デモクリトス(BC460-370頃)は、「いかなることも偶然によっては起こりえない」という、唯物論的、無神論的な考え方をする人でした。彼は、形・大きさ・配列・姿勢の違う無数の「原子」の結合や分離の仕方によって、人間の感覚でとらえられるすべての性質や生滅の現象が生じる、と考えました。彼の考える原子は、真空(空虚な空間)の中を飛び回っていなくてはなりません。原子と原子の間に何らかの物質があれば、その物質がさらに分割できてしまうから。
神々が遍在するギリシアのことです。「自然は真空を嫌悪する」としたアリストテレスは受け入れられても、真空の存在を前提とするデモクリトスの立場は異端にとどまらざるを得ませんでした。

リチウム原子の概念

さて、私たちは、原子核の周囲を電子が回っている図を思い浮かべることができます。リチウム(Li)原子の例を図に示しましたが、ぐぐぐぐっと拡大して原子核の直径を 1 mm としたとき、原子の大きさは 100 m くらいになります。真空の存在どころか、隙間だらけでした。デモクリトスがこのように考えていたはずはないでしょうが、確かに、空虚な空間の中を飛び回る粒子があります。

 

今回は、二酸化炭素と窒素が認識された頃のお話。

 

フロジストン説全盛期の時代背景

シュタールが亡くなったのは1734年のことですが、彼が提唱したフロジストン理論は錬金術師たちの業界を超えて広まり、全盛期を迎えます。前回述べたとおり、日常的な直観に一致する説明ができるのですから、多くの人に受け入れられるのもムリはありません。

まずは当時の思想を支える時代的背景を確認しましょう。

錬金術と近代科学、せめぎ合いの時代

ベッヒャー、シュタール以前の人ですが、イギリス経験主義の祖とされるフランシス・ベーコン。この人の影響は無視できないかと思います。倫理社会の教科書などに、名言「知は力なり Scientia est potentia (i)」とか、人間の先入的謬見に関する「イドラ idola (ii)」とかが登場することで知られています。自然の探求によって自然を克服し、人類に福祉をもたらそうと考え、実験や観察を積み重ねて得られた知見を整理・総合することで法則性を見出す「帰納法 (iii)」を提唱した人です。
(i) ラテン語の scientia(知識)は英語の science(科学)の語源。
(ii) ラテン語で偶像の意味で、英語の idol(アイドル)の語源。今日の話では誰が無敵なのでしょうか。

(iii) アリストテレス的には、帰納法から得られる結論は、観察できた事例の範囲でしか適用できないかもしれないので頼りにならない。確かな知識をもとにした演繹法によれば「大前提→小前提→結論」という三段論法によって確かな結論が得られるはず。

※ 異次元の金融緩和によって景気が回復して・・・という演繹法的連鎖はまったく実感できないけれど、働き手が足らない、賃金も上がらない、円安と物価高は進む・・・といういくつもの観測事実から得られる帰納法的結論は実感として理解できちゃうな・・・みたいなことを考えてしまう今日この頃です。

 

それはおいといて、ベーコンの思想を錬金術の世界に取り込んだ人が登場します。「ボイルの法則」で知られるロバート・ボイルです。貴族身分で、もともとは錬金術師、自然哲学者、化学者(iv) 、物理学者。確かな実験や観察を通じて物質の基本構成要素(元素)を探そうとした人、錬金術から脱した近代化学の祖という評価を受けています。ボイルの頭の中では、物理も化学も、自然を探求する哲学の一分野に過ぎなかったのかもしれません。

(iv) ボイルの著書「懐疑的化学者 SCEPTICAL CHIMIST」(1661)、タイトルで「化学者」を名乗っております。

 

もう一人はアイザック・ニュートン。自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者として知られる偉大な人物です。しかし、彼は「賢者の石」や「エリクシル」を研究する錬金術師でもありました(v)。実際、前回取り上げたベッヒャーやシュタールとほぼ同時代に活躍した人です。ニュートン・グッズの収集家としても知られる経済学者のケインズは、ニュートンは「理性の時代の最初の人ではなく、最後の魔術師である」と評しています。
ニュートンの頭の中は、神の造り給うた世界の秘密を知ろうとすることでいっぱいだった、ということではないかと思えます。「プリンキピア」は自然(宇宙)の数学的な秩序を語る書であって、それは神の存在を示すものでもあったはずです。

(v) ハガレンでもおなじみ、「賢者の石 lapis philosophorum」は、非金属から金を錬成できる物質、霊薬(病んでいる卑金属を治療して貴金属に戻す、と考えてください)。「エリクシル Elixir」 も同様で、金属の粗悪さを治し、人間の病気をも治す特異な薬剤とされます。資●堂の化粧品やおフランスのワインに「ELIXIR」という名付けがありますが・・・元・水の分析屋さんは化粧をしませんし、ワインよりも日本酒が好きです

 

二酸化炭素と窒素を認識していたはずだが・・・

前置きが長くなりました。ベッヒャー、シュタールと、ボイル、ニュートンの活躍した時代はそれほど離れてはいません。錬金術の考え方からは逃れ切れていないし、フロジストン理論が主流であったはずの時代ですが、何事も実験と観察で確かめようとする態度は着実に広がっていたようです。

二酸化炭素と窒素を認識

スコットランドの化学者、ブラックは、石灰石(炭酸カルシウム)を強熱すると、石灰水を白濁させる性質を持つ、ふつうの空気とは異なる気体が生成することを発見しました(1754年)。ブラックは、石灰水に呼気を吹き込んで白濁させる実験によって、人間の呼気にもこの気体が含まれていることを確かめました。彼は「二酸化炭素」をみつけていたのですが、これを石灰石に含まれて固定される気体、「固定空気 fixed air」と呼びました。

ブラックの弟子のラザフォードは、密閉容器の中でろうそくを燃え尽きるまで燃やして、発生した固定空気を石灰水に吸わせた後にも残る気体に注目しました。その気体の中ではハツカネズミがすぐに死んでしまうことから「有毒な空気 noxious air」と名付けました。今日の知識があれば、ろうそくの燃焼や呼吸の作用で空気中の酸素が消費し尽くされると、後に残るのは窒素だということになるのですが、時代が時代です。ブラックもラザフォードもフロジストン理論にしたがう解釈をとります。

ハツカネズミの呼吸やろうそくの燃焼によって、空気中には固定空気とともにフロジストンが放出される。そこから固定空気を取り除くと、空気中には飽和状態のフロジストンだけが残る。その気体中で物質が燃焼しないのは、フロジストンが飽和しているからである、ということです。ラザフォードはまた、生物は呼吸とともにフロジストンを排出するので、フロジストンが飽和状態では呼吸ができずに死ぬとも考えました。
こうして彼らは、「有毒な空気」を「フロジストン化した空気 phlogisticated air」 とも呼ぶことになります。

 

本文中さかんに「空気」と書いていますが、私たちが通常使っているのとは意味が違います。フロジストンがあった時代の空気は、手で触ることができない気体。どのような性質を持つ「空気」なのかを説明しなくてはならなかったようです。

 

時代背景で多くの文字数を費やしてしまいましたが、元・水の分析屋さんとしては、「化学」「化学者」とは何か、を考えるためにどうしても必要な情報だという気がしてなりません。ハツカネズミを死なせてしまいましたし、必要以上に力が入ってしまいましたが、どうかお許しいただきたいと思います。

 

今回、二酸化炭素と窒素を認識したので、次は酸素を認識することにしましょうか。