alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

空気の発見 (3)

光合成は、植物が光エネルギーを化学エネルギーに変換して、生体に必要な有機物質を作り出す反応過程です。大雑把な表現ですが、大気中の二酸化炭素と水から炭水化物を合成する反応で、炭素固定とも言います。

二酸化炭素と水でブドウ糖を作る反応式

水 H2O が、左辺に12コ、右辺にも6コあって変に感じるかもしれませんが・・・

二酸化炭素硫化水素ブドウ糖を作る反応式

嫌気性の細菌によるイオウを使う光合成もあるので、反応式の形を一般化して整えているのです(受験生が覚えやすいかどうかはまったく関係ないです)。上の式では最後に6分子の酸素 O2 が発生していますが、下の式ではイオウ S の12原子が発生しております。周期表をみると酸素の下はイオウ。類似の反応があっても驚かないでください。

 

さて、以前紹介した乾燥大気の組成。窒素 78.08%、酸素 20.95%、アルゴン 0.93% で、ここまでで 99.96% ・・・ 二酸化炭素は 0.04% くらいしかないのでした。

ちょっと違う図ですが乾燥大気の組成

前回は、フロジストン説にしたがった考え方ではありましたが、「空気」のうち二酸化炭素と窒素が認識されたところまでを書きました。主要成分よりも微量成分の方が先にみつかる、こういうのが面白いところです。今回は、残りからまず酸素を「発見」しましょう。

 

フロジストン説の難点? レフェリーのミスター・高橋は見ていません

いろいろな本やウェブ上の書き物には、ものが燃焼するとき、重さが増えることもあるし減ることもあって、「フロジストン説では、燃焼後の重量変化をうまく説明できない」とされています。燃焼するものによっては、フロジストンは「軽さ」あるいは「負の重さ」をもつことになるので矛盾! というわけです。

しかし、元・水の分析屋さんはそうは考えません(ツムジマガリなもので)。

○ 質量の概念はまだ明確ではありません。もちろん、質量保存法則もまだ登場していません。重くなる、軽くなるって、何の話ですか?

四大元素の「火」「気」は「軽さ」の性質をもっていました。フロジストンに軽さがあっても問題ないはずです(i)

○ 金属灰や酸がフロジストンと「結合」している、といいますが、燃焼で結合が切れることと重さの変化の関係は分かっていません。結合って何?

(i) ヨーロッパ世界で負数(マイナスの数)がきちんと理解されるようになったのは18世紀だといいますから、「重さ」と「軽さ」が別々の性質として理解されていても不思議ではないでしょう。私たちはマイナスの気温やマイナスの電荷を何とも思わずに使いますが、それがあたりまえではない状況を想像するのはムダなことではないと思います。

 

シュタール自身は、金属の燃焼で重量が増える理由を、フロジストンが抜けて金属が濃縮するから、とか、フロジストンの抜けた後に空気が入り込むから、とか考えていたようです。また、ボイルでさえも重量が増加する原因は、発生した熱の一部が金属に付着するためだと考えていたそうです。

Wikipedia の「フロストン説」の項、「フロギストン説衰退の理由」から引用しておきます:

負の質量が問題となったのは、引力との関連性によるものであった。ニュートン万有引力の法則によると、引力は質量に比例するのであるから、負の質量をもつフロギストンは引力とは反対の力、すなわち斥力が働くことになる。そのため、通常の物質とは反発することになる。一方でフロギストン説によれば、フロギストンは通常金属灰と結合した状態にある。そのためフロギストンには引力と斥力の両方の性質を負わせる結果になった

でもね、ニュートンの「プリンキピア」が出版されたのは1687年。シュタールのフロジストン理論は、彼の1697年の著書「化学の基礎」に登場したのですから、上の話だと、当時の学者さん(みたいな身分の人たち)が万有引力の法則を10年ほどの短期間のうちに深く理解して、フロジストンにも同じ力が働くのでないとおかしいと主張したことになります。このストーリーは、私には極めて理解しづらい。「フロジストン? 何、それ? ニュートン先生の話とつじつまが合わんやないかい!」で片付くのかなぁ。万有引力の話に負の質量を持ち込んだことになるのかなぁ。プロレスの会場にいる人も中継を見ている人も分かっているのに、「レフェリーのミスター・高橋だけが見ていない!」レベルの話になっていませんか。ま、知らんけどね・・・

 

「酸素」の発見者は?

また話が長くなりそうなので足早に進めましょう。

酸素を発見した人たち

シェーレは、スウェーデンの化学者・薬学者。自分が発見した様々な物質を舐めてみる癖があったそうで、よせばいいのに、鉛、フッ素酸、ヒ素なども口にして死んだそうです・・・それはおいといて、シェーレは二酸化マンガン MnO2濃硫酸を加えて加熱して得られる気体に注目、ろうそくの炎に吹き付けると明るく輝くことからその気体を「火の空気 fire air」と呼びました。どう考えても、これは現代的には「酸素 O2」を発見していたのに違いないのですが、呼び名はあくまでも「空気」の一種です。
化学史的に酸素の発見者とされるのがプリーストリー。炭酸水を発明したことで有名で(関係ないですが、小川洋子さんの小説を急に思い出して、今泣きそうです)、酸素のほかに一酸化窒素、塩化水素、アンモニア、亜酸化窒素などの研究成果も発表した人です。酸化水銀を加熱することによって、現代的には「2HgO → 2Hg + O2」で酸素が出てくる実験を繰り返し、シェーレがみたのと同じ気体を得ました。しかし、フロジストン説を捨てられなかったプリーストリーは、それをフロジストンを含んでいない空気だと解釈し、「脱フロジストン空気 dephlogisticated air」と名付けました。

ラヴォアジェは、すべての実験を定量的に行いました。彼はもともと裕福な資産家であったにもかかわらず、1768年頃から税金の取り立てによって高収入が得られる徴税請負人となり、その後、火薬硝石公社の火薬管理監督官となっています。翌1776年には兵器廠(砲兵工廠)に移り住み、そこに実験室をつくって様々な実験を行いました。実験用の器具や設備は自分の資産を使わずにそろえたようです。また、妻のマリー=アンヌも自身のサロンを構え、客人を招いていました。やがて、ラヴォアジエは貴族の地位を手に入れ(ii)、彼の実験室は他の化学者達が集う場所として有名になったそうです。

(ii) 金で地位を買ったのです。フランス革命が進む中、1793年には徴税請負人であった者をすべて逮捕することとなり、ラヴォアジェも投獄されてしまいます。1794年、数々の業績を持ち出しての弁護もむなしく、「共和国に科学者は不要である」との判決が下され、直ちにコンコルド広場でギロチンにかけられました。天文学者で数学者のラグランジュは、「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」と彼の才能を惜しんだといいます。

 

閉鎖系で酸化水銀を加熱する器具の図(ラヴォアジエの妻が描いた図)

それはおいといて、ラヴォアジエは、閉鎖系の中での精密な実験を繰り返して、化学反応の前後で質量は変化しないという「質量保存の法則」にたどり着きます。さらに、プリーストリーの実験の追試により、フロジストンがなくとも「酸の元(オクシジェーヌ) oxygène」 を導入して「燃焼とは物質とオクシジェーヌの結合である」と考えればよいと主張しました。
酸素の発見者はプリーストリーですが、酸の元(オクシジェーヌ oxygène)と名付けたのはラヴォアジエということになります。

「燃焼」という現象への理解が進むにつれて、フロジストンは不要なものになっていきます。より優れた仮説が採用される、現代の科学では当然の流れになってきましたね。

 

次回は二酸化炭素よりも多いはずのアルゴンを発見しましょう。