alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

トマス・ミジリーの創造物 (2)

マーフィーの法則」より:

始まりがよいと終わりは悪い 始まりが悪いと終わりはもっと悪い

 

「始めよければ終わりよし」とか「始めよければすべてよし」とか言われますが、そうはいきません。敵陣深くまで蹴り込んだキックオフがリターンからまさかのタッチダウン。強烈なサーブをレシーブされてネットにかかった球がこっちのコートに落ちる。AIの評価だと圧勝するはずの将棋が大ポカでトン死。世の中そんなもんです。運命の女神がいるとしたら、いたずらするか、何もしないかのどちらかではないかしら。

何ごとも終わりまでちゃんと見届けましょう。また、他人様の成功体験はあなたには何も教えてくれないとしたもの。自分だけが頼りです。だから気楽に、でも、きちんとやりましょう。

 

では、よせばよかった大発明の話。

 

化合物の骨格は似ているけれど・・・

トマス・ミジリーの発明品は「エチル」ガソリンだけではありません。特許を取っただけでも100くらいはあるとか。「エチル」の次に彼が取り組んだのは、冷蔵装置の熱交換器で使用する冷却材の開発。こちらはガソリンの添加剤に比べれば目星がついていた分野だったようで、なんと、開発開始から3日で(!)フレオン(i) を作っちゃったといいます。

(i) 日本では「フロン」というのが一般的です。長い横文字からきている「フルオロカーボン」という化学名を一部省略して縮める日本式省略法によって「フロン」となったのではないか、という説が三協化学株式会社さんのサイトで紹介されていました(コスパ <- コストパフォーマンス みたいなもの・・・)。諸外国では1930年代に工業生産を開始したデュポン社による商品名「フレオンTM」で呼ばれます。

炭素が中心の正四面体構造、各頂点にフッ素と塩素です

それまで冷却剤としては主にアンモニア NH3 が用いられていましたが、何しろ劇物指定の物質です。配管から漏れてしまうと、とんでもない刺激臭が広がり、皮膚や粘膜を痛めてしまいます。液状のものが目に入ると失明の可能性まである。ついでのことに、条件が整うと爆発的に燃えます(なので最近は CO2 を出さない燃料として注目されています)。もっと安全な冷却剤がほしいのは当然です。

その点、新発売の「ジクロロジフルオロメタン dichlorodifluoromethane, CCl2F2 (フレオン-12)(ii)」は臭いもなく、毒性もないし、いきなり燃えることもない。しかも安価ときていますから、これは理想的な冷却材。そして、ミジリーの背後には冷蔵設備会社を買収したゼネラルモーターズGM社)が付いていたのです。いかにもありそうな話ですが、大もうけ間違いなしでした。その後も、炭素、フッ素、塩素の化合物、クロロフルオロカーボン Chlorofluorocarbon(CFCs)が次々に登場したのはご存知のとおり。

(ii) 一番簡単な炭化水素メタン methane, CH4 」の4つの水素 H のうち2つをフッ素 F で、ほかの2つを塩素 Cl で置き換えたもの。よくよく見ると、これって毒性や発がん性がある四塩化炭素(テトラクロロメタン tetrachloromethane, CCl4)の仲間だと気づきます。そんな化合物の 2つの Cl を F に置き換えると無毒になるとは・・・Cl も F も17族(元・水の分析屋さんたちが知っている旧CAS式では ⅦA族)、同じハロゲンの元素なのですが。

しかし、当時「オゾン層」の役割をよく知る人はいなかったし、安定な物質であるはずのフレオンが上空では分解して塩素を出すなど知られてはおりませんでした。オゾン層を破壊する物質だとは知らないままに、ひたすら大もうけしたのですね。

 

地球環境の破壊に尽くす

フレオンはスプレー缶に詰める高圧ガスとしても最適だということで、利用範囲が著しく拡大します。塗料や消臭剤の噴霧などはもちろんのこと、第二次世界大戦のころからは、殺虫剤 DDT の噴霧に利用されました。

有機塩素系の化学物質 DDT (dichlorodiphenyl-trichloroethane, C14H9Cl5) は、1873年に合成されたものの、特に注目されることもありませんでした。しかし、スイスの化学者パウル・ヘルマン・ミュラー(Paul Hermann Müller, 1899-1965)が強力な殺虫効果を発見したことで、俄然脚光を浴びます(ミュラーは1948年にノーベル医学・生理学賞を受賞)。人間などへの急性毒性が低いことから、マラリアを媒介する蚊をはじめとする外注、もとい、害虫を退治するために大量に使用されました。元・水の分析屋さんは、子供のころ、日本の子供の頭に進駐軍の兵士がDDTを振り掛ける写真を見て、気分が悪くなったのを覚えています。シラミによる発疹チフスの予防には成功したようですが、私にしてみれば遅延性のある急性毒でした。

フェニル基2つに塩素が5つ とても強そうな化合物

\(・_\)それは(/_・)/おいといて、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」をご存知の方は多いでしょう。化学物質の危険性を正面から取り上げたこの書の登場で、万能の殺虫剤だったDDTへの評価は変わっていきました。脂溶性DDTは動物の脂肪細胞に蓄積されやすいことが分かっており、食物連鎖を通じてさらに濃縮されます。DDTをはじめとする残留性有機汚染物質(Persistent Organic Pollutants; Pops)は、分解しにくいため長期にわたって環境中に残存し、長距離を移動して生態系に悪影響を及ぼします。人間においても発がん性、奇形、生殖器の異常などの発現が懸念されています。DDTマラリアチフスの拡大防止に寄与したという評価はありますが、継続的な使用によって害虫がDDT耐性をもつようになることも知られています。使わないで済むものなら、使わないに越したことはないでしょう。

さて、オゾン層破壊物質のフレオンは、環境汚染物質を大量散布するために使われました。ミジリーの創造物フレオンは、人間にとって有害な物質を2種類同時に環境に大量放出する結果を招いたのです。彼自身は冷蔵設備以外の用途を予期していなかったかも知れませんが、製造責任については全く自覚していなかった、と言わざるを得ません。

今の世の中、悪気はなかったんだ、という言い訳をよく耳にするのですが、これでいいのかと考えるだけの良心が欠けていることは間違いないと思いますよ。会計担当者に任せていたから、っていうのも良心が欠けている証拠。

 

ミジリーの最期と業績の評価

トマス・ミジリーは、1940年、51歳の時にポリオを発症しました。下半身麻痺の後遺症が残ったので、ベッドから起きる補助となるようクレーン状の仕掛けを発明して、自分で使用していました。そして55歳の11月、この仕掛けの不具合で綱に絡まり、あえなく窒息死してしまいました。自分の発明品で死んだ科学者・技術者のひとりとしても、その名をとどろかせることになったのです。

なお、ミジリーの業績に関する評価は多くの場合マイナス向きです。
○ すごいほど残念な才能を持つ人(ビル・ブライソン,作家)

○ 彼の存在は「環境災害のワンマンショー」である(「ニュー・サイエンティスト」誌)

○ 有史以来、地球の大気に最も大きな影響をもたらした生命体である(J・R・マクニール,環境歴史学者
ただし、2003年には有鉛ガソリン開発の功績により全米発明家の殿堂入りを果たしています。評価とは・・・そういうものでもあります。

 

それではまた来年。