本日は9月3日。本当は「台風がなくても大雨」みたいな話題にしようかと思っていましたが、局地的な大雨も多少は落ち着いてきたみたいです。そんなときに台風の話題の続きとくれば、やはり、枕草子から「野分の又の日」が一番でしょう。
野分(のわき)の又の日こそ、いみじう哀れに、覚ゆれ。立蔀(たてじとみ)・透垣(すいがい)などの、伏し並みたるに、前栽(せんざい)ども、心苦し気なり。大きなる木ども、倒れ、枝など、吹き折られたるだに、惜しきに、萩・女郎花などの上に、蹌踉(よろば)い、這ひ伏せる、いと思はずなり。格子の壺などに、颯(さ)と、際を、殊更にしたらむ様に、細々と、吹き入れたるこそ、荒かりつる風の仕業とも覚えね。
台風がやってきたのか、熱帯低気圧に変わってきたのか、はたまた温帯低気圧に変わって再発達したのが通り過ぎていったのか、その辺は分かりませんが・・・そんな大嵐の翌日はしみじみと趣の深いもの、って語りだします。大きな木も倒れ、枝も吹き折られて、もったいないし、萩・女郎花などの上にも覆い被さっていて、思いもかけず残念なことだ。しかし、格子の枠の一つひとつに、わざわざそうしたかのように、丁寧に木の葉を吹き入れてあるのは、荒れ狂った風の仕業とは思えない。
いと濃き衣の、表曇りたるに、朽葉の織物、薄物などの小袿(こうちき)、着て、実法(まこと)しく、清気なる人の、夜は、風の騒ぎに、寝覚めつれば、久しう、寝起きたるままに、鏡、打ち見て、母屋より少し膝行(ゐざ)り出でたる、髪は、風に吹き迷はされて、少し、打ちふくだみたるが、肩に掛かりたる程、真に、めでたし。
たいそう濃い色の衣で表面がくすんでいる着物に、朽葉色の織物、薄物の小袿を羽織った、実直そうでさっぱりした美しい女房が、夜は大風のせいで何度も寝覚めてしまったのか、なかなか起きられないでいるまま、鏡をちょっと見て、部屋から少し膝をついたまま出てきた。まだ強く吹いている風のため、髪の毛がふわりとふくらみ、それが肩にかかっているのが、まことに素晴らしい。
物哀れなる気色、見る程に、十七・八ばかりにや有らむ、小さうは有らねど、態(わざ)と、大人などは見えぬが、生絹(すずし)の単衣の、いみじう綻びたる、花も返り、濡れなどしたる、薄色の宿直物(とのいもの)を着て、髪は、尾花の様なる削ぎ末も、丈ばかりは、衣の裾に外れて、袴のみ鮮やかにて、側より見ゆる童女(わらはべ)の、若き人の、根込めに吹き折られたる前裁などを、取り集め、起こし立てなどするを、羨まし気に推し量りて、付き添ひたる後ろも、をかし。
しみじみと哀れ深い朝の景色に見とれていると、十七・八歳くらいなのだろうか、少女とは言えないが、ことさらに大人とも見えない若い女房、生絹の単衣がひどくほころんで、花も色があせて濡れてなどしている薄い紫色の夜具の衣をまとって、髪は切りそろえられて、すすきのように広がっているが、衣の裾よりも長く、袴が色鮮やか。その側に控えている童女は、若い女房たちが根こそぎ吹き折られてしまった前裁などを、取り集めたり、起こしたりしているのを、それをどうするのかと羨まし気に推し量りながら付き添っている。その後ろ姿にも、心惹かれる。
野分とは、野の草を吹き分ける風(角川・新版 古語辞典より)。二百十日、二百二十日のころにやってくる嵐、今日で言う、台風のことです。二百十日、二百二十日は、立春から数えた日数ですから、平年だと九月一日と十一日になりますが、今年は閏年なので八月三十一日と九月十日。太陽暦だと、このように一日ずれるだけですみますが、陰暦だと月と日が毎年違ってしまうので、特に名指しして、嵐への注意を喚起していたのでしょう(i)。
(i) 今日でも有名な二百十日と二百二十日は「雑節」になっていますが、もう一つ、八月一日も「八朔 はっさく」という「荒れ日」とされています。暦の上の八朔は太陽暦なら1ヶ月くらいの範囲で動き回ることになりますが、水稲栽培では早生の穂が実り始める頃とされるので、これも注意喚起ですね。三つまとめて三大厄日とされています。ついでながら、八朔は、広島県の因島が原産とされる柑橘類の名でもあります。甘くて酸っぱい、大人の苦みもほんのりと感じられる、元・水の分析屋さんとしては大いにお勧めの逸品です。
なお、ここで用いたテキストは、島内裕子 校訂・訳(ちくま学芸文庫)の「枕草子」によります。これは俺の知っている枕草子じゃない、と思われるかも知れません。古文の教科書には『ものあはれなるけしきに見いだして、「むべ山風を」など言ひたるも、心あらんと見ゆるに・・・』という部分があったのではないでしょうか。ここは、古今和歌集の「吹くからに 秋の草木のしをるれば むべ山嵐を あらしといふらむ」(文屋康秀)の一節をくちずさんで風流なことだ、という解釈、先生方としても試験に出しやすい一節であろうと思います。しかし、まあ、元・水の分析屋さんは、たぶんテストに出ないこちらのテキストの方が好みです。
SHANSHAN はどこにいた? 速報値ですがたどってみましょう
気象庁のページ「 ホーム > 各種データ・資料 > 過去の台風資料 > 台風位置表 > 2024年」に、令和6年(2024年)に発生した台風の位置表が掲載されています。「台風情報」のページに掲載された経路図も拾っておいたので、ちょっとだけ速報値と比較してみましょう。
前回書いたとおり、台風の位置の確度の評価は三段階。誤差がおおむね 30 海里以下だと「Good: 正確」、30海里を超え60 海里以下だと「Fair: ほぼ正確」、60 海里を超えると「Poor: 不確実」となります。上の図中、薄い緑の円の半径は 60 海里、赤っぽい円の半径は 30 海里です。もちろん、左右の図で縮尺は全く違います。
いかがでしょうか。左の図からは、台風が日本のはるか南の海上にあるときは、'PSN FAIR' でも大いに有用な情報であることを感じていただけると思います。でも、右の図ではどうでしょうか。台風の中心が「半径 30 海里の赤っぽい円の中にあります」と説明されても「ちと困る」レベルではないでしょうか。
九州に上陸して四国を横切るあたりまでは、衛星画像はもちろん、海上よりはずっとたくさんある陸上のデータも用いることができるので、位置の確度は 30 海里よりもずっと正確であるはず。それでも天気図上の表示は 'PSN GOOD' です。'PSN EXCELLENT' という評価がないので、まあ、仕方ありません。
ついでに書いておきますが、上の経路図に示された台風の Track が「折れ線」になっているのを見て、本当はもっと滑らかな曲線を描いて移動したのではないか、などと考えるのはたぶん間違いです。最盛期を迎えた台風の眼を衛星画像で観察してください。真円になっていることはほとんどないと思います。すさまじい勢いで回転するコマの軸がしっかり立っているように、眼の形が若干歪んではいても、台風の中心はその中のどこかにある。しかし、台風が衰え始めると眼の形もはっきりしなくなります。コマの回転が徐々に弱くなると軸が首を振りだすように、台風の中心位置も大いに揺らぐのでしょう。
それにしても、台風10号 SHANSHAN の進路予測は困難を極めたことと思います。台風を追跡された皆様には、心からお見舞いを申し上げます。
それでは