alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

風は、嵐

新人さんの初仕事が花見の場所取りであったり、そろそろ職場に慣れてきた若手が忘年会のセッティングを任されたり。今でもそういう仕組みは残っているのでしょうかね。元・水の分析屋さんの個人的な見解ですが、縁海、ではなかった、宴会のお世話は社会人に求められる能力の一つです。ただ、「求められる能力」とは書きましたが、身についていると「ちょっとトク」なこともあるが、一方的に利用されてしまうとバカバカしいだけ。そういった性質なのであまり気にすることはないです。

さて、昭和生まれのわれわれは、新人の歓迎会、夏の暑気払い、忘年会、新年会、送別会と、年がら年中宴会の口実に恵まれて生活していました。おかげで、下手なカラオケのほかにも、何か一つは宴会芸の用意がないといささか不安でした。でも、いい年をしたオッサンがいきなり上司からご指名を受けて「相葉く~ん、松潤~、ニノ~、リーダー、翔ちゃ~ん・・・嵐を呼ぶ男でした」なんてやっちまうとか。場をしらけさせる定番でした。こうなると「♫ し~らけどり 飛んでいく 南のそ~ら~へ~」などをオチにするしかありません。ミジメ、ミジメ・・・

しらけるのは当たり前です。(A)平成時代を代表する大人気グループ「嵐」のメンバーを知っていて、かつ(B)昭和の「♫ おいらはドラマ~」で有名な日活の裕次郎作品「嵐を呼ぶ男」も知っていないと、何のこっちゃ分からへんからなのです。ギャグの成否は、今日は無礼講だぁ、と宣言して下さった上司さまが 'A and B' の条件を満たすかどうかにかかっていたのに、ヌケヌケとチャレンジするとは・・・おお、怖い怖い。

 

前回は枕草子から「野分の又の日」の段を紹介しましたが、今回はその前の段「風は」に眼を向けましょう。

 

風は、嵐。

風は、
嵐。木枯らし。三月(やよひ)ばかりの夕暮れに、緩く吹きたる花風、いと哀れなり。
八月(はづき)・九月(ながつき)ばかりに、雨に交じりて、吹きたる風、いと哀れなり。雨の脚、横様に、騒がしう吹きたるに、夏、通したる綿衣の、汗の香など、乾き、生絹(すずし)の単衣に、引き重ねて、着たるも、をかし。此の生絹だに、いと暑かわしう、捨てまほしかりしかば、「何時の間に、斯う、成りぬらむ」と思ふも、をかし。

 

風は、
嵐。木枯らし。三月頃の夕暮れに緩やかに吹いた花風は、とても感慨深い。
八・九月の頃に、雨混じりに吹いた風は、とてもしみじみとした趣きがある。雨脚が横殴りに、騒がしく風の吹いている時、夏を通して使った綿入れの衣が、汗のにおいは乾いているのを、生絹の単衣に重ねて着たのも、とても面白い。この生絹の単衣だって、とても暑苦しくて、脱ぎ捨てたいほどだったのに、いつの間にこんなに涼しくなったのか、と思うのも、面白い。

 

暁、格子、妻戸など押し上げたるに、嵐の颯と吹き渡りて、顔に沁みたるこそ、いみじうをかしけれ。九月晦日(つごもり)、十月(かんなづき)朔日(ついたち)の程の空、うち曇りたるに、風の甚う吹くに、黄なる、木の葉どもの、ほろほろと零れ落つる、いと哀れなり。桜の葉、椋の葉などこそ、落つれ。
十月ばかりに、木立多かる所の庭は、いと、めでたし。


明け方に、格子や妻戸を押し上げたら、嵐がさっと吹いて冷たく顔に沁みたのは、思いがけず風情を感じさせた。九月の末、十月の初めの頃の空が、ちょっと曇って、風がひどく騒がしく吹き、黄色い木の葉がはらはらと散り落ちるのは、とても深い情感を誘う。桜の葉、椋の葉などは、落ちるのが目立つようだ。
十月頃に、木立の多い家の庭は、とても見事で美しい。

 

この段も、教科書だと「木枯らし」が入ってなかったり、花風の代わりに「雨風」となっていたりしているかと思います。でも、このテキストのように、嵐 → 木枯らし → 花風 であれば、立木も折れるような強風 → 木の葉を吹き散らす風 → 花を散らす緩やかな風 と並んで、風雅に感じられませんか。清少納言の美的感覚ならそのように書くと信じたい。

また、前回の「野分の又の日」についても、こちらのテキストは「むべ山風を」・・・の部分がないのが好みだと書きました。この件も、ちょっと補足しておきますね。

古今和歌集にも入っている「吹くからに 秋の草木のしをるれば むべ山嵐を あらしといふらむ」(文屋康秀)の一部分をくちずさんだというのですが、それを風流だと解釈するのはどうなのでしょう。私は、この歌は古今和歌集に典型をみる「言葉遊び」「文字遊び」の歌だと思います。「あらし」≒「荒らし」(だから草木がしおれる)でしょうし、文字の方は「嵐」=「山」+「風」と解いたのに違いないでしょう。機知・遊び心が強く感じられる歌のはずなので、古今集の歌の一節をくちずさんだからといって、風流とか風雅とかの答えを求めるのは反則だと考えるわけです。

それに、少納言の目にとまった「清気なる人」は、鏡をちょっと見ただけで庭を見に出てきて、髪も風をふくんでふくらみ、肩に掛かっているほどでした。どう考えても少しばかり乱れている姿のはずですが、それを「真に、めでたし」と評しています。「あはれ」でも「をかし」でもない。ふだん見せてくれないような、隙のあるところを見て、胸ときめいてしまった結果の「めでたし」、言い換えると「○○先輩、かわいい~!」であろうと想像しますが、皆様の見解はいかがでしょうか。

 

結論。今日の「風は」も前回の「野分の又の日」も、清少納言の観察眼・審美眼が存分に発揮され、「なんということでしょう!」の感動に満ち満ちた文章になっています。元・水の分析屋さんにとっての清少納言は、細やかな観察眼を持ち、高い教養を身につけている一方、中宮定子さま推しを前面に押し出している、ツンデレ美人です。大河ドラマでききょう=清少納言を演じたファーストサマーウイカさん、見事なはまり役であったと感心しております。

 

嵐を呼ぶ積乱雲

気象庁は、観測者の目視による観測をどんどんやめており、観測者が空を見上げて雲をみる観測も、ちょっと前に廃止されてしまいました。見えている雲の形と、それらが空を覆う割合などが観測項目だったのですが、これらについては「気象庁が定める観測方法」はなくなった、ということでしょう。であれば、「天気小僧」や「気象オタク」の皆さん、定められた時刻に行う必要もないですから、それぞれ独自の観測手法で取り組んでいただいてよいのだと思います。もちろん、私も「気が向いたら」空を見上げることにしています。

元・水の分析屋さんの仕事場だった観測船は、気象庁的に立派に言うなら「洋上の観測プラットフォーム」という位置づけです。観測項目は多岐にわたりますから、観測員として乗船したからには、水の分析だけでは許してもらえません。気象観測も当然ながら担当しました。もちろん下に示す「十種雲形」の知識は必須です。趣味として取り組む方も、用語として覚えるだけではなく、それなりに見分けられるようになると、いっそう興味が沸くのではないでしょうか。

気象研究所の荒木健太郎さんによるまとめです

今回は積乱雲について書こうとしているので、「① 雷の光や音がある」に注目です。これが 'Yes' なら、「ピカッ」または「ゴロゴロ」が観測されたら当選確実、積乱雲がある、と言っています。ここで 'No' であっても、「② 個々の雲のモクモク or ドーム状が見える」に 'Yes' で「③ 雲頂の一部が羽毛っぽい(i)」にも 'Yes' なら積乱雲という判断になりますね。雷は発生していないけれど、十分に発達した積乱雲の雲頂が水平方向に広がって(かなとこ雲)、羽毛状になっているようなケースです。

(i) プロが使う業務マニュアルの類いなら「・・・っぽい」はないことでしょうが、このフローチャートには何度も出てきております。荒木健太郎さん、らしさ全開です。

この積乱雲、水平方向の広がりはほんの数km ですが、高さ方向には雲頂が対流圏界面(緯度や季節によっても変動するが、中緯度域なら 10-16km くらいでしょう)に達するまで発達できます。上昇気流によって発達する積乱雲があると、狭い領域でたくさんの空気が上層へと運ばれるので、地上では強烈な収束が生じて、強風、突風が発生しやすい(台風の中心付近でも強い上昇気流がありましたね)。したがって、色々な「嵐」をもたらす雲だと言えるのです。

 

次回は、どんな嵐が吹き荒れるのか、など、書いてみましょう。