alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

二酸化炭素の増加と海洋の変化 ― 酸性化 (2)

昨日、ドライブがてらに紅葉スポットの下調べに出かけてきました。道中、2車線から1車線に合流するところがあるのですが、私の後ろの車、ピッタリ詰めてきて、間に入れてやらない感を思い切り漂わせてきました。「車間も心も狭い人やな」ってつぶやいたら、助手席から「何かうまいこと言った気でいるんじゃない?」と声がかかりました。

腹を立てなかった私は、まあまあ心が広い方じゃなかろうかと思うのですが、いかがでしょうか。

海洋の酸性化の話、続きです。

 

理科の実験:食塩水は中性か? 蒸留水は?

リトマス試験紙、青が赤に変わると酸性、赤が青に変わるとアルカリ性。いろいろな液体で試してみよう! といった理科の実験は小学校5-6年生で登場するのでしたか。水の分析屋さんは色が変わるのが大好きです。危ないよ~といいつつも、希塩酸、アンモニア水、水酸化ナトリウム溶液などが実験台に上がります(先生、気をつけてくださいね)。身の周りの液体では、レモン果汁、食酢、洗剤など、お家から持ってきて、試験紙にガラス棒で液体を一滴たらす。なかなかのお楽しみですね。

海水はちょっとだけアルカリ性、pH 8 くらいです。では、海水と同じ「塩水」の食塩水の pH はどうでしょうか。

食塩の中でも精製塩と表示されているものは、海水を電気分解して作ります。塩化ナトリウムが 99% 以上、炭酸マグネシウムなどが少しだけ混じっています。大量生産できるので、業務用に向いていますが、これ単独で塩味をつけると刺激的なしょっぱさになるので、ご家庭用としてはおすすめしません。精製塩を溶かした食塩水はほぼ中性、リトマス試験紙の色を変えることはないはずです。

一方、生産地や製造法を知らせるような商品名の塩は、海水を天日干ししたり煮詰めたりして濃縮し、濾過膜で不純物を除いてから作られます。ナトリウム Na だけでなく、カリウム K、マグネシウム Mg、カルシウム Ca などのイオンも含まれており、これを溶かした食塩水は、海水の組成に近いので弱いアルカリ性になります(*)。甘み、旨味に若干の苦みまでバランスが整っています。お好みの塩でお料理とまいりましょうか(広告ではありません)。

(*) ただし、実験室で試験紙の色が変わるかどうかは微妙です。リトマス試験紙は、その製造過程で酸を使用するので、製品自体が弱い酸性になっているのがふつうだから。リトマス紙よりお値段が高い pH 試験紙をお使いいただくと何とかなるんじゃないかな。

さて、蒸留水はどうでしょう。前回示した式 (0) から、水温によって変わるとはいえ、純水の pH は 7 に近い。しかし、実験室で使おうとしている蒸留水には、室内の空気に含まれている二酸化炭素が溶けています。すると、

二酸化炭素の水への溶解

※ HCO3-  :炭酸水素イオン、 CO3-2  :炭酸イオン とよびます。

とまあ、炭酸 H2CO3 が解離して H+ を出すので、酸性側に偏ります(もっとも、中性からあまり離れていない蒸留水では、(3) 式の二段階目の解離は無視できるレベルです)。実験室の CO2 濃度は、先生と児童生徒のみなさんの吐く息で 1000 ppm 近くになっているかも。であれば、蒸留水の pH は 5.5 とか 5.4 になっているでしょう(**)

(**) リトマス試験紙の色が変わらないなら、ちょっと奮発して理化学屋さんで pH メータを購入しよう! とお考えになるかもしれませんが、蒸留水は電気をほとんど通さないので、電極式の pH メータでは測定できません。悪しからず。この際付け加えておきますが、「蒸留水は中性」とか「蒸留水の pH は 7」とか書いてあるサイトが多く存在することに関しては、私の心はとても狭いです(怒)。

 

海水が酸性化するカラクリと生物への影響

CO2 が蒸留水に溶ける場合、解離は (3) 式にまでは進まないのですが、弱アルカリ性の海水なら二段階目まで十分に解離できます。

溶液の pH と炭酸系のイオンバランス

このため海水には CO2 がよく溶けるのですが、その一方で、CO2 濃度上昇への応答がちょっと複雑になってきます。CO2 が増えると (1) 式の平衡は右に移動し、H2CO3 が増えるので (2) 式の平衡も右に移動して H+ が増えます。ところが、(3) 式の平衡は H+ が増えると左に移動します。つまり、大気中の CO2 濃度が上昇すると海水中で H+ が増えて pH が低下し、同時に CO3-2 が減少することになるのです。すると、

海洋生物が貝殻や骨格を作る化学反応

この (4) 式の平衡が CO3-2 を増やすべく左辺に移動するため、炭酸カルシウム CaCO3 を作りにくい条件になってしまいます。海洋酸性化が進むと、北の海の妖精、クリオネが暮らせなくなるという有名な話がありますが、クリオネの主食の有殻翼足類「ミジンウキマイマイ」が殻をつくることができなくなって生息できず、クリオネもエサがなくなってしまうので暮らせない、のように、リングがもう一つ間に挟まっている説明の方がよいかと思います(クリオネも貝の仲間ですが)。

※ 炭酸カルシウムには、カルサイト(方解石)とアラゴナイト(アラレ石)の二つの結晶形があり、溶解度積が少し異なります。pH 低下で溶けやすくなるのはアラゴナイトの方が早いので、アラゴナイトを使う翼足類やサンゴは、より海洋酸性化に弱いといえます。

海水の pH の低下は狭義の酸性化、 CO3-2  減少の影響まで含めて広義の酸性化、といえます。

 

海洋酸性化の実態 ・・・ pH の低下と CO2 の蓄積 (AR6 と AR5 より)

広大な海洋の中に設定されたいくつかの時系列観測点で得られた表面海水の pH の時系列が AR6 に示されています(凡例だけ和訳)。

気象庁の東経137度線上の観測点も入っているようですね

表面海水の pH は海域によって差はあるものの、どこでも一応 8 以上。しかし、定点の時系列データはどれをとっても右肩下がりのようです。海水はまだアルカリ性ですが、地球全体で酸性側に近づいている、これを「海洋酸性化」と呼ぶのですね。

さて、海洋表面から吸収された CO2 は、海洋の循環によって表層を離れて中・深層にも運ばれます。海洋の循環についてもそのうち書くつもりですが、表層水が冷やされて海底付近まで沈降する海域があります。そういう海域で CO2 が表層水とともに表層から除去されれば、さらに海面から CO2 を吸収する余地が増えます。こうして、海洋は表層だけでなく中・深層までにわたって CO2 を蓄積します。AR5 の図をご覧ください。

海底から海面まで立ち上がった底面積 1 m2 の水柱に取り込まれた CO2 モル数

グリーンランド周辺は、北大西洋で表層水がもっとも深くまで沈降できる海域。たくさんの CO2 が蓄えられている様子がわかります。右側に示された北極海は、よく冷えるはずですがそれほどでもないですね。また、左側の図をよーく見ると、日本海がよい色合いで塗られていることに気づきます。実は、日本海は小規模な海なのに深層水を形成することで注目されており、CO2 を深層に貯めているのです(ムダな豆知識!)。

かくして海洋は、地球全体に蓄えられた熱エネルギーの多くを引き受けているだけでなく、人為的に排出された CO2 のおよそ3分の1を吸収して蓄えていると評価されています。海洋酸性化の問題は、人為起源の CO2 の蓄積と切り離して考えるわけにはいきません。

 

次回は、あらためて海洋の温暖化の話で。