alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

じっかい じゅっかい  きら ほしのごとく

本日 11/16 の 北海道新聞 朝刊、第2社会面の隅っこに掲載された「まなぶんクイズ」にブツブツ言って絡んでしまいましょう。
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【問題文】
明るいものや立派な人が数多く並んでいることを表す言葉「○○○のごとく」。○は夜空に無数に輝くもの漢字3文字だよ。

【答え】
綺羅星(きらぼし
綺羅は美しい衣服のこと。「綺羅、星のごとし」がつながって、この言葉になったんだ。

問題作成・北海道社会科教育連盟
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あ~、「社会科」教育連盟さん、これはやっちまいましたね~。むろん、「国語」の領域の問題だろうから許してあげよう・・・とは思いません。こういう場に問題として提供したからには責任が伴うに決まっています。

そもそも、国語辞典に「きらぼし綺羅星】」という見出し語はありません。「きら【綺羅】」の子見出しで「――ぼし【――星】」として登場します。それでね・・・

講談社国語辞典(第二版)
《「綺羅、星のごとく・・・」を誤用してできた語》美しく輝く多くの星。

新明解国語辞典(第八版)
〔「綺羅、星のごとく」を誤って続けた語〕美しく輝く星。

・・・と書かれているのです。答えが本来誤りのはずの言葉では困ります。


講談社国語辞典第二版は1991年発行。力強く「誤用」とされています。新解さんの第八版は2020年発行の新しい辞書。多少は和らいだ表現ですが、それでもやはり「誤って続けた」とされております。誤って続けたからできた言葉であり、本来は途中で切れているはず。まあ、正しい言葉ではないのです。新聞紙面で子供相手に広めてよいものではないと考えますが、北海道新聞のご担当様、どうお考えなのでしょう。北海道社会科教育連盟に全責任を押しつけてはいけませんよ。

そういえば、新聞は「高の花」ではなく「高の花」と書くのでした(2024/08/19 の投稿をご覧下さい)。おかげで、元・水の分析屋さんのPCでも「高根の花」と変換されるようになってしまいました(あとで辞書を直しておかねば)。同じ調子で、新聞では「綺羅星(きらぼし)」が正しい 3文字熟語です、と主張されるのでしょうか。

また、常用漢字に「嶺」がないので「根」を使うということでしたが、「綺」も常用漢字外ですね。本来は「綺麗」と書いてよいところ、新聞では「奇」を使って「奇麗」にするのではなかったかな(i)? 新聞では「表外字は使わない」という説明だったはずですが、「綺羅」は例外ということですか? であれば、どんな理由でしょうか? もしかしたら、あまり多くの人が読んではいないこのブログをスルーしとけば、話が拡散する心配はほぼないからいいのですか? ・・・拡散希望します!

(i) 「綺」は糸偏で分かるように、織物の綾模様が美しいことを表しています。「奇」は怪しかったり不思議だったり、思いがけなかったり。決してプラスイメージばかりではない文字かも知れません。常用漢字表にさえとらわれなければ、「綺麗」と書きたいのではありませんか。文章を綴ることを生業にしているのでしたら、ここはこの字を書きたいと思うとおりに書けばいいのに、とは思います。デスクがアホなせいにしてはダメですよ。

 

なお、元・水の分析屋さんは「綺羅星(ほし)のごとく」と、句点にするほどはっきりとは切らないで、「綺羅星のごとく」くらいの感じで、ほんの少しだけ間をとって読みます。3文字熟語ではなくて複合語だという意識があると主張しているつもりです。関係ないですが、「言語明瞭意味不明」だって 8文字熟語とは言いがたい。これはできるだけ抑揚を付けずに「げんごめいりょういみふめい」と読みたいですね。


\(・_\)それは(/_・)/おいといて~ 私の推しの島谷ひとみさんが「綺羅星になれ」って歌っていたんですよね~ 作詞家さんにすれば「キラキラ輝く星になれ」のつもりだっただろうと思いますが、これは失敗ということになるでしょうね~ 残念ですぅ。

 

も一度、\(・_\)それは(/_・)/おいといて。ちなみに、皆さんは「十戒十誡」をなんて読みますか? 元・水の分析屋さんは「じっかい」と読みます。上で引用した辞書の見出しもそうなっています。で、講談社の辞典には「じゅっかい」のところには「述懐」だけ出ておりますが、新解さん(八)だと、まず「じゅっかい 十戒十誡」⇒「じっかい」とあり、それに続いて「述懐」が出ています。まんまと引っかかったようだね~ 「じっかい」が正解なんよね~ ま、そっちを見てちょうだいね~ と言ってるみたいな感じですかね~。

ついでですが、新解さん(八)では「十」という数詞がカ・サ・タ・ハ行の音で始まる語にかかるときの形は「じっ」であると説明されていて(旧仮名遣いの ジフ が促音になったら ジッ に決まってますから)、「じゅっ」は慣用形として登場しています。つまり、「十回」「二十回」も「じっかい」「にじっかい」が本来の読み方で、「じゅっかい」と発音したら別な言葉と思われかねない・・・だったのです。でも、わが子がお世話になった小中学校の先生方は、大ベテランの何人かを除いて「十回」→「じゅっかい」でした。今は昔、小学校のテストで「十回」の読みを「じゅっかい」と書いたら、×がついて返されたという、悲劇的な話を聞いたことがありますが、今はどうなっているのでしょうか。

 

整いました~ 「十回」の読みとかけまして 「じゅっかい」とときます そのココロは、慣用にもう少し寛容になっていい頃じゃないでしょうか

 

もうひとつ。

私たちは、モーセに従って行動するつもりはないですし、ブッダの教えに導かれて修行しようとも思っていません。「十戒」にも「十誡」にも縁はない・・・と思っていたら、仏教の戒律には在家の人も行うべき「八戒(はっかい)」というのもあるのだそうで。何とも「やっかい」なことです。

 

はい、オソマツでした。