alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

リスクの評価

今日 10月5日 の北海道新聞一面から:

「処置水」とは初耳(正しくは初見)

「処置」には判断して取り扱う意味があり、「処理」の物事を捌いて片付けるというニュアンスとは違いますね。誤植の類いであってほしいですし、これで実害が発生するとは思いませんが、まあ、困ったことです。

では、本日、処理水放出が再び始まったところで、トリチウム水をめぐるリスク評価の話など。

 

トリチウムβ線は低エネルギーで透過力も弱い

β崩壊する核種の半減期と放出するβ線の最大エネルギーを表にまとめました。

半減期の単位: y は年、d は日、h は時間 です

※ エネルギーの単位 eV エレクトロン・ボルト(電子ボルト)、1 eV = 1.602 176 634 ×10-19 J です。

ヨウ素131(131I)、ストロンチウム90(90Sr)、セシウム137(137Cs)などは、国際連合の主要国による大気圏内核実験が繰り返されていたころから、新聞紙面に頻繁に登場していました(大量放出が始まったのは広島・長崎への原子爆弾投下でしょう。私は1959年生まれ、「放射能の雨」で大騒ぎした子供です)。炭素1414C)は、人為的に生じたものだけでなく天然にも生成する核種で、有機物試料の年代測定に利用されています。

イットリウム90(90Y)は 90Sr のβ崩壊で生成。親核種 90Sr に比べて半減期が非常に短く、さっさとジルコニウム90(90Zr)に変わりますが、そのとき放出するβ線が高エネルギーなので、まずは親核種の90Sr に注目します。もうひとつ、137Cs はβ崩壊して安定な核種バリウム137(137Ba)になるのですが、5.6% は最大エネルギー 1.176 MeV のβ線を放出して直接 137Ba になり、94.4% はいったん 514 keV のβ線を放出した後に662 keV のガンマ(γ)線を出して137Ba に落ち着きます(放出するエネルギーの合計は 1.176 MeV)。ややこしいことで申し訳ないですが、137Cs はβ崩壊の核種なのによくγ線で計測するので付け加えました。

※ 放射性核種については、崩壊前のものを「親 parent」といい、崩壊してできるものを「娘 daughter」と呼んでいました。さらに崩壊してできるのは「孫娘 granddaughter」です。息子はおらんのか~ぃ! の表現ですが、私たちの世代は「女系家族だな~」とかいいながら平気でいたのです。

それはさておき、表からは、トリチウムから出るβ線のエネルギーが上に紹介した核種に比べて1桁から2桁低いことが見て取れます。β線はふつうアルミ板などで遮蔽できるとされますが、トリチウムから出るβ線は空気中で最大 5mm、水中では最大 0.006mm しか飛ばないと言われています(*)。したがって、体外からの被ばくによる影響は無視できるレベルです。

(*) なので、一般人が放射線の測定器を買い求めて魚介類や水を点検・・・とかいうニュースがありましたが、専門家が使う高価な装置でないとトリチウムの測定はムリなはずです。

 

体内に取り込んだときは・・・

体外からの影響は無視できるとしても、やはり気になるのは体内に取り込んだときのことです。環境ホルモンなどと同様の生物濃縮があるとすれば、人体組織への影響もその分大きくなってきます。

 

トリチウムは、通常トリチウム水 HTO として存在しますが、一部は生体内の有機物分子の水素とも置き換わるでしょう(有機結合型トリチウム)。水の循環は恐ろしく速いので、水分子の形であれば生体内に長くとどまることはありません(9月27日の記事参照)。一方、有機結合型はそれよりは長く体内にとどまるとされます。文献によれば、生物学的半減期40日程度のものと1年程度のものがあり、摂取したトリチウムの 5~6% が有機結合型になるとか。しかし、摂取すると骨に取り込まれて蓄積する 90Sr (**) のようなことは起こらない、つまり、生物濃縮の可能性は低いと考えられています。

(**) ストロンチウム Sr は元素の周期表でカルシウム Ca の下に位置する「アルカリ土類」の金属。化学的性質が似ているので骨に取り込まれやすい。放射性の90Sr は 90Sr → 90Y →90Zr とβ崩壊を繰り返す過程で長期にわたって内部被ばくを引き起こす。

 

リスクの評価

最後に、体内にあるほかの放射性核種との比較による、簡単なリスク評価を試みましょう。

以前、海水には塩素とナトリウムのほか、マグネシウムカリウムがたくさん溶けていることを紹介しました(9月28日)。これらは全部生物が生きてゆくために必須の元素です。食品の中にも豊富に含まれるミネラル成分のカリウムは、成人の体内に 120~200 g あって、主に細胞内でナトリウムと相互に作用しつつ細胞の浸透圧を維持するといった重要な役割を果たしています。カリウム同位体のうち普遍的に存在するのは質量数39~41までの3種類で、質量数40のものは放射性同位体です。どんな崩壊をするのかご覧ください。

極めて長い半減期で二通りの崩壊経路がある変わり者

カリウム40(40K)の半減期は 1.277×109 年(12.77億年)。なぜか二通りの崩壊経路がありますが、9割方は最大エネルギー 1.311 MeV のβ線を出してカルシウム40(40Ca)に変わります。トリチウムとの比較のためこちらだけに注目、軌道電子捕獲 ECでγ線を出してアルゴン40(40Ar)になる経路はこの際無視します。

ついでみたいですが、トリチウムの崩壊図式も作ったので披露しておきます。β崩壊してヘリウム3(3He)になります。念のためですが、β線しか出ません。

トリチウムはβ崩壊してヘリウム3になる

成人の体内には、摂取と排出を繰り返したバランスの結果、数千ベクレル(Bq)の 40K があります。トリチウムも同様にバランスして、特に取り込もうとしていなくても体内に数十ベクレルあるといわれています。どちらもβ線の内部被ばくによってDNAレベルなどで細胞組織を痛めつける可能性は確かにあります。

可能性はありますけれど、ここからの論理は簡単です。成人の体内の存在量(ベクレル表示の値)については、40K がトリチウムを2桁上回っています。β線のエネルギーについても、40K はトリチウムよりも2桁上。ふつうの環境で暮らしていれば、トリチウムによる内部被ばくの影響は 40K によるものよりも4桁下回るはずです。であれば、トリチウム濃度が 10,000倍くらいになったら 40K の影響と同程度になる、と考えるのが当たり前ではないでしょうか。トリチウム以外の核種も含めて、安全基準をはるかに下回るレベルになっているのであれば、体内被ばくの影響は「可能性はゼロではないが、リスクは極めて小さい」と評価せざるを得ません。安全と言い切ることはしませんが、危険だと主張するのはさすがにムリである、というところでしょう。

いろいろな報道を見る限り、IAEAの報告が処理水放出の安全性の根拠にされていると受け止められているようです。しかし私は、「最後の一滴まで」という表現が付け加えられていることから、日本政府と東京電力は監視されていなければ何か違うことをするかもしれない、と疑われているのではないかと疑っています。 それに、ALPSで回収した様々な放射性物質はどこに保管されていて、最終的にはどう処分するつもりなのでしょう。物質がいきなりなくなるはずはありませんからね。

放出が決まった処理水はもちろんですが、ALPSで回収されたはずの物質のゆくえも監視してもらわないといけないような気がしております。

 

次回からは「地球温暖化」をめぐるいろいろな話題を取り上げたいと思います。