alchemist_380 のひとりごと

元・水の分析屋さんがブツブツ言います

人が住まなければ災害はない

古詩十九首より 其十四

 

去者日以疎    去る者は日々に以て疎く

來者日以親    来る者は日々に以て親しむ

出郭門直視    郭門(かくもん)を出でて直視すれば

但見丘與墳    但(ただ) 丘と墳とを見る

古墓犁爲田    古墓は犁(す)かれて田と為り

松柏摧爲薪    松柏は摧(くだ)かれて薪と為る

白楊多悲風    白楊 悲風多く

蕭蕭愁殺人    蕭蕭として人を愁殺す

思還故里閭    故(もと)の里閭(りりょ)に還らんことを思い

欲歸道無因    帰らんと欲するも 道 因(よ)る無し

 

冒頭の対句、よく知られています。その先、三~八句まで寒々とした心象が心に浸みてきますね。そして、「懐かしい故郷に帰りたいが、そこに続く道はない」と結びます。

 

この詩は「徒然草」第三十段 にも引用されており・・・

人のなきあとばかり悲しきはなし・・・(中略)・・・年月へてもつゆ忘るるにはあらねど、去る者は日々に疎しと言へることなれば、さはいへど、その際(きわ)ばかりは覚えぬにや、よしなしごと言ひてうちも笑ひぬ。からは、気うとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつつ見れば、ほどなく卒塔婆も苔むし、木葉(このは)ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、こととふよすがなりける。思ひ出でてしのぶ人あらんほどこそあらめ、そも又ほどなくうせて、聞き伝ふるばかりの末々は、あはれとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ心あらん人はあはれと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も千年(ちとせ)を待たで薪にくだかれ、古き墳(つか)はすかれて田となりぬ。そのかただになくなりぬるぞ悲しき

こちらは、諸行無常の世界観に軸足があるのが、違いといえば違いでしょうか。

 

心の中でこんなことと結びついて

今回の話題は重苦しいので、書いていいのかどうか大いに迷いました。でも、蟠っているものをどこかで吐き出しておかないと、自分がつぶれてしまいそうで。

 

実は、元・水の分析屋さんの故郷も、2018(平成30)年 7月の西日本豪雨で被災して、高校生までの18年を暮らした実家は全壊。故郷を離れて久しい身でもあり、私もホントに家なき子です、とか、冗談交じりに言っておりました。しかし、最近、日本中で自然災害が頻発していて、改めて自分にも帰る家はないのだなぁ・・・とか考えていたら、ちょっと変なスイッチが入ってしまいました。まあ、話を聞いてくださいませ。

2018年 7月の件、一人暮らしだった母は 3月に他界しておりましたので、無人の実家に土砂が押し寄せ、流れ込んで、全壊したのです。だから、私の実家に関しては「人的被害はなかった」ことになります。でもご近所では、暮らしている人をのみ込んで、家屋ごと流失というケースもありました・・・複雑な感情が沸き上がってきます。

公の機関が「防災」「防災」と声をあげることは確かに必要なのでしょうが、地域の住民が大ピンチになったところに向かって「命を守る行動をとってください」って、これはいったい何を言いたいのだろう。そうなる前に避難させましょうよ。

命さえ守りきれば、そこからは自治体が助けてくれる(国が後ろ盾になってくれる)、という状態になっていますか? 今、全国各所の被災地の状況をみていると、十分に生活を支えてもらえているところは、ほとんどないように感じられます。命を守ったせいで、却って辛い目にあっているのでは、何をか言わんや、だと思いますが。

 

我が故郷を襲った 2018(平成30)年 7月の西日本豪雨、なんと、この集落には大きな被害の前例がありました:

小学生のころ遊んでいた広っぱにあったな~ (地名を隠しました)

1907(明治40)年 7月に「谷の水はあふれ土砂が荒れくるうように流れた」。そういう前歴があったのですね。家屋43戸がつぶれて、死者は44人。この災害を記録した「水害碑」と「報恩」碑だったのです。昔から子供の遊び場になっていた広場の脇にあったのに、知らんかったわ~。ともあれ、大変な被害でしたが、そこからはお上の恵みにより、巨額の金と衣類や食料など、計算できないほどの支援をいただいて「生きる目標を得た」と書かれています。

 

さて、一世紀を経て発生した大災害。石碑まで作って、大きな被害を後世に伝えようとしてくれたのに、繰り返さなくてもよいことを繰り返したのかも知れない・・・などと考えつつ、まだ爪痕が生々しい現場を撮影してきました(i)。ふだんはチョロチョロ流れる小さな川ですが、まだ多量の土砂で埋まったまま。上流から転がってきたと思われる大きな岩も残っていました。

(i) ボランティアの皆さんがまだおられたのに、何もせずに立ち去る自分がとても情けなかったのです。

しばらく雨が降らないと、左の写真に見えている程度の水量になる川です

これまた子供のころには気付いていなかったことですが、川上へと歩いていくと・・・

錆びてしまった看板は いつ掲示されたのだろう

このように書かれた錆び錆びの看板がありました(川の名称は伏せました)。文字も読みづらくなっていて、かなりの年数を経ているもののようです。西日本豪雨で崩壊した、あの砂防ダムを作ったころのものとすれば、70年ほど経過していることになります。もしかしてですけど、その70年ほどの間、新しい砂防対策・水害対策はとられていなかったのかも。

2015~2023年 の大規模な河川氾濫・・・毎年のことになっています

2015年 9月 鬼怒川、最上小国川
2016年 8月 石狩川常呂川十勝川
2017年 7月 筑後川遠賀川山国川 雄物川
2018年 7月 高梁川小田川 (西日本豪雨
2019年10月 千曲川那珂川阿武隈川
2020年 7月 球磨川、飛騨川
2021年 8月 六角川筑後川江の川
2022年 8月 最上川後志利別川、名蓋川
2023年 7月 大平川、木山川、筑後川

元・水の分析屋さんがざっと検索をかけただけで、こんなに出てくる河川の氾濫。拾い出せなかったものも、たくさんあるはずです。毎年こんな調子ですが、河川管理者は、果たして適切な対策を講じているのでしょうか。

堤防を整備して、ダムの水量/放水量を管理するのは、治水の基本。それだけではなく、場所によっては川幅を広げたり、河道の掘削(ii) で水位を下げたりすることも必要です。しかし、河川氾濫の情報をみると、一級河川(国の管理)でさえ十分には行われていないのでは・・・と思ってしまいます。人災の側面が問われるところです

(ii) 管理者の皆さん、土木工事はお得意分野のはずですから、川砂が取れるところくらい、ちゃんと掘ればいいのに・・・ って思うのです。

 

まとめにもなりませんが

○ 東京の「谷」がつく地名をあげていくと・・・ 渋谷、四ツ谷茗荷谷千駄ケ谷市ケ谷、谷中、阿佐ヶ谷、雑司ヶ谷鶯谷、世田谷、日比谷などなど。どれをとっても武蔵野台地が侵食されてできた「谷」状の土地、というのがその名の由来だそうです。「地下鉄」銀座線渋谷駅のホームが地上 3階(でしたよね?)にあることはご承知でしょう。渋谷は谷間に開けた街なのです。こういう調子ですから、都内各所で暗渠になった川が増水したとき、周辺の道路が冠水するのは、当然といえば当然です。

 

西日本豪雨の被災地のひとつ、広島市安佐北区の八木地区の地形は、奥行きのある山を背景にしています。地域の言い伝えによると、天文元年(1532年)ころ、象をも飲み込むほどの大蛇が出て、八木近隣の人々を脅かしていたそうです。時は戦国、この地の八木城城主・香川氏の一族の香川勝雄が大蛇の退治に向かい、阿武山の中腹で襲いかかってきた大蛇を叩っ切ったといいます。蛇の首が落ちた所は夥しい血で赤く染まった池となった・・・これが「蛇王池」。首が落ちたあたりは「蛇落地(じゃらくち;今では上楽地)」とよばれ、「八木蛇王池大蛇霊の慰霊碑」が建てられています。

 

斐伊川は、島根県鳥取県の県境にある船通山に源を発し、宍道湖、中海を経て日本海に注ぐ一級河川です。上流域で砂鉄をとるために山を削っていたため、大量の土砂が流れ込んで下流域に堆積、洪水が頻繁に起きました。そこで人為的に河道を切り替える『川違(たが)え』と呼ばれる工事が繰り返し行なわれ、洪水を防ぐと同時に新田も開発して、今のような出雲平野ができました。そもそも、素戔嗚尊の八岐大蛇退治の舞台でもあり、神話の時代から「暴れ川」だったようです。

 

どこの街とはいいませんが、人口が集中すると周辺にベッドタウンができます。山地が海岸に迫る急峻な地形が多い日本。山肌を削るとか、谷間を切り開くとかしての宅地造成が行われがちです。その際、「蛇」「龍」などが含まれた地名には要注意です。昔々、大水が出たに違いないからです。

 

極論・暴論であることを承知で書いておきます:浸水害や土砂災害は、危険な場所に人が住むから発生するのです。自然の力に抗う術はないものとして、危険を承知の都市計画はやめてほしいのです。