川柳風のタイトルですが、あ~あ、言わんこっちゃない、な話題を二つ。
石破茂氏が7月9日の船橋市の街頭での選挙演説で、トランプ米政権との関税交渉を巡り「なめられてたまるか」(i) と発言しました。
(i) ・・・国益を懸けた戦いだ。なめられてたまるか。たとえ同盟国であっても・・・という流れで出てきた言葉です。おお、勇ましいこと。トランプ氏に直接言いに行ってください。
前回書いたとおり、人を「舐めている」とか「舐められている」という言葉は、誰かを敵対視していなければ発せられないはず(今回は赤字にしておきますね)です。トランプ政権に対して、あんたらのことを敵だと思っているから、って言っちゃったことになる。もしかしてだけど、トランプ氏よりも弱者であることが明らかなので、嫉妬、怨恨、憎悪、劣等感など入り交じった感情(ルサンチマン ressentiment)を抱いているのかも。
ホントは「弱犬の遠吠え」だったかも知れませんが、相手に聞こえないはずがない。これ、後になって「そんなつもりではなかった」とばかりに、「深く反省し、陳謝の上、撤回する」(2-3日前に聞いたばかりのセリフ)のでしょうか。いやいや、とんでもないフェイクニュースだと言い張るのでしょうか。そんなのが通用する相手でしたっけ。もう知~らない。一国のトップに立つだけの「徳」も「器量」も備えておられなかったみたいです。
================================================================
国立青少年教育振興機構による意識調査の結果によると、日本の高校生の45.9%が「社会に出たら理科は必要ない」と思っているそうです。調査を担った同機構青少年教育研究センターの樋口拓副センター長は「(日本の理科教育が)社会とつながる中身になっていない可能性はある」という分析をされていますが・・・そうなのでしょうか。
理科は必要ない。だったら、数学も必要ないでしょう。地理も歴史も、せっかく覚えてもどんどん変わっていくものだし、まあ必要ない。古文漢文に至っては、使い途などあるのかな。英文法なんかは少し役立つかも知れないけど、英会話ができれば all OK ・・・ 高校に何をしに通っているのかな? 仕入れた知識を別の何かと関連付けられないと、あなたはメシを食う巨大な記憶媒体になってしまうよ。
高校生諸君。
学校で知識を得るのは「タイパ」が悪いうえに、得た知識自体にもほとんど価値がないと考えているのではないでしょうね。リベラル・アーツに到達しないうちに、そんなあきらめ方をしてはいけません。学校の教育課程は、たくさんの知識を体系的に習得できるように、かなり工夫されています。タイパ最強かも知れないのです。しかし、どこかで躓いてしまった生徒は、躓いた先の理解が追いつかず、論理で構成される数学でさえも「公式を記憶する科目」になる。
・・・困ってしまったところで手を差し伸べてもらえなかったわけですね。でも、そのときに「先生、質問!」とか言えたのかな? それで先生が助けてくれなかったのなら、たいへん不幸なことです(へっぽこ教師に当たってしまいました)。でも、困っていて黙っていて、それで助けてもらおうというのでは残念すぎる。当然ですが、赤点には追試しかやってきません。 天は自ら助くる者を助く、です。
とはいえ、現役高校生のうちから「社会人になったら、学校で習う理科が役立つ場面などない」と考えているのだとしたら、それは傲慢の限りです。あのね、皆さん、学校を出てしまったら、知識だって経験だって、自分の力だけで積み上げなくてはいけないんだよ。そのときに、親が学費を払ってくれた学校で習ったことをあんたが利用しないなんて、タイパを考えてもコスパを考えても、親子二世代で大損していることになるんでないかい。
学校と実社会は、同じように見える/感じられるところは数々あれど、実際にはまったく別の世界です(一方は必ず正解がある、他方は何が正解か分かりようがない)。なので、学校教育に「社会とつながる」中身とやらがあるかどうかではなくて、学んだはずのものを「自分につなげる」センスがあるかどうか、が問題なのではないか、と、元・水の分析屋さんは考えます。
教え方の問題だなんて考えていたら、教師なんか全部 AI に置き換えてしまえ~とかいう話になるだけです。学ぶ側が「自分につなげる」力を身につけなくてはならない。そのように生徒を指導できるのは、やはり、人間の先生であろうと思います。個人差が大きくて大変なのは確かですが、AI にマネができない指導力(ii) が求められているのでしょう。
(ii) AI は生徒の話し相手くらいはできますが、数学を理解しているわけではないので、数学を教えることはできません。それらしいことを書いてよこすだけです。ほかの科目についても同様。そして、AI は間違っても責められることがない。責められるとしたら、設計した人間の方です。どことなく理不尽ですねぇ。
AI に限界があることを知っているのは設計・開発した人間だし、人間に限界があることを知っているのも人間です。だから「考える葦」でいられる。