長嶋さんの訃報にかき消されてしまいそうな話ですが(さすがに「そりゃあそうだ」と納得はしております)・・・ 将棋の棋聖戦の話題
【産経新聞による見出し (6/2)】
藤井聡太棋聖と杉本和陽六段、東武特急「スペーシアX」で対局場の日光へ“呉越同舟” ヒューリック杯棋聖戦
藤井聡太棋聖(竜王・名人・王位・王座・棋王・王将と合わせて七冠)に杉本和陽六段が挑戦する「棋聖戦五番勝負」第1局は、6月3日、日光市の「日光金谷ホテル」で開催されました(結果は藤井棋聖の勝ち)。両棋士は対局前の 2日、東武鉄道の特急「スペーシアX」で浅草駅を出発し、日光に到着しました。藤井棋聖は「鉄」がお好きですから、さぞかしお楽しみだったでしょう。
\(・_\)それは(/_・)/おいといて、産経新聞社主催の棋戦ですから、大きく取り上げるのは結構なのですが、同じ特急列車に乗って移動したという記事に「呉越同舟」という見出しが付けられました。はて? 何だかおかしいような気がします。
兵法書として名高い「孫子」。その「九地篇」に書かれていることですが、
善用兵者、譬如率然。率然者、常山之蛇也。撃其首則尾至、撃其尾、則首至、撃其中、則首尾倶至。敢問、兵可使如率然乎。曰、可。夫呉人與越人相惡也。當其同舟而濟、遇風、其相救也、如左右手。
善く兵を用いる者は譬えば率然(そつぜん)の如し。率然は常山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至る。其の尾を撃てば則ち首至る。其の中を撃てば則ち首尾倶(とも)に至る。敢て問う、兵は率然の如くならしむべきか。曰く、可なり。夫れ呉人と越人と相惡(にく)むや。其の舟を同じうして濟(わた)りて、風に遇うに當りては、其の相救うや也、左右の手の如し。
以下、元・水の分析屋さんの意訳:
常山に卒然という蛇がいる。頭を撃つと尾が飛んでくる。尾を撃つと頭が回ってくる。中ほどを撃つと頭と尾が両方向かってくる。つつしんでおうかがいする。軍を動かすのに、卒然のように全体が素早く連動するようにできるだろうか。(孫武)曰く、できる。呉の国の人と越の国の人は互いに憎み合っているが、それでも同じ舟に乗っていて強風にあい、舟が危険にさらされれば、日頃の憎しみを忘れてまるで左右の手のようにお互い助け合うものだ。
・・・と、まあ、これが「呉越同舟」という故事成語のもとになっているのです。そもそも仲の悪い同士、ライバル同士、敵味方・・・が同じ場所にいて、大ピンチを迎えたところで助け合う状況を表現する四字熟語なのです。もしかして、藤井棋聖と杉本六段は仲が悪いのですが、特急列車の中で何か困ったことが起きて助け合った、というのでしょうか(笑)。
今回の棋聖戦の記事だけでなく、「呉越同舟」に含まれていたはずの「対立関係」「敵対関係」のニュアンスがない、単に同じ乗り物に乗っているだけみたいな用例が多く見られます。以前にも書いたような気がする「情けは人のためならず」とか「確信犯」とかも、元々の意味と違った使い方をされていることが多い。正しい意味が分からなくなってしまいそうです。甚だ困ったことだと思います。
ちなみに、いつの間にか政党間で合意が成立して・・・という場合は、「呉越同舟」よりも「同床異夢」くらいがピッタリだと思います。合意したと言いつつも、裏で考えていることは、それぞれ違うのでしょうから。
ついでのことに、前農水相の更迭に関して、自民党の大物さんは「泣いて馬謖を斬る」ことができなかった、と書いてある記事もみかけました。これもおかしな表現です。
三国志に登場する「馬謖」は諸葛亮の愛弟子、並外れた才能を持った人物でした。しかし、北伐(魏の討伐)の先鋒を命ぜられた馬謖は、街亭の戦いで大敗してしまいます。諸葛亮の命令に背いて山上に陣を布き、水の手を断たれてしまったのです。諸葛亮は涙を流しながら馬謖を処刑した・・・ 軍令に背いた責任を取らせたわけです。
さあ、みんなで考えよう: 前農水相は ① 並外れた才能の持ち主だったか、② 政府の方針に背いたり党の実力者たちに刃向かったりしたのか。いいえ、③ 支持者の歓心を買おうとして完全に口が滑っただけです。
規律を保つためならば、身内であろうと才能があろうと、違反者は厳しく処分する。最低限、こういう文脈でないと、「泣いて馬謖を斬る」にはならないと思います。「三国志」くらい知ってるぜ、のようなアピールはいりません。故事成語には、使うに相応しい場面があるんです!
さてと、予告では、1次元の「線」と2次元の「面」の間の状態を考えてみる、のでしたが、ついでのことに、1次元の「線」でもないし0次元の「点」でもないものを見ておきましょう。
カントール集合の構成
カントール集合は、「線分を三等分して真ん中を取り除く」(あるいは「両側を残す」)操作を無限回繰り返して得られる集合です。

最初の線分を閉区間 [0, 1] とします。取り除く真ん中の部分は開区間です。この操作を線分がある限りどこまでも続けます。誰にでもできる簡単なお仕事です・・・なわけねぇだろー! 誤って閉区間を除去してしまうと、最後に何も残らなくなりますから。開区間を次々に取り除くので、n → ∞ としたときのできあがりが閉集合になる仕組みです。
さて、例によって、区間の「長さ」を考えてみましょう。1回の操作で長さは 2/3 になるから、どうやら無限回の操作後の「長さ」は 0 (に収束、と書いておけば納得してくれる人が増えるかも)で間違いなさそうです。で、途中経過のどのステップでも正の「長さ」を持つはずなのに、できあがりは 0。ムチャクチャ中身スカスカです。でも、スタートの閉区間 [0, 1] の中には、カントール集合に属する点が無限個あります(分割された線分の数が増大し続けるのは作り方から明らかです)。これまた「ほとんどビョーキ」の世界ですね。
ちょっとだけ補足。カントール集合に属する数を「三進数」の小数に展開した数はどの桁にも 1を含みません(0 と 2 だけが出てくる)。落ち着いてよーく考えると、上の Cn の構成法から、三進数展開の小数第 k 桁に 1 が初めて現れる数は、k 回目の操作で取り除かれているからだと納得できるはずです。

こうして、非可算個(自然数で数え上げることができない)の点があるのに「スカスカ」で見えなくなるわけです。
フラクタル次元とは
さて、\(・_\)それは(/_・)/おいといて。シェルピンスキー・ガスケットは「面積」は 0 だが、図形の周の「長さ」は無限大。カントール集合は区間の「長さ」は 0 だが、集合に属する「点」は無限個。こういうのこそ 2次元と 1次元の間、1次元と 0次元の間だと言いたいわけです。そして、次元について 2 と 1、1 と 0 の間があるというなら、必然的に「整数ではない次元」を定義することになります・・・「大介」という「次元」以外に思いつきませんが、それでは「ルパン三世」より先には進めません。
指数函数 y= ax について、まず x が整数のところを定義して、そこから x の範囲を有理数に、さらには実数にまで広げることができたように、これまで整数だけで考えていた「次元」を適切なやり方で実数の範囲に拡張すればよい。で、どうやって?
こんなのはどうでしょうか:

長さ 1 の線分は、長さ 1/2 の線分 2つ(21 個)で作られる。縦・横 1 の正方形は、縦・横 1/2 の正方形 4つ(22 個)で作られる。縦・横・高さ 1 の立方体は、縦・横・高さ 1/2 の立方体 8つ(23 個)で作られる。そこで、線 は 1次元、正方形(平面図形)は 2次元、立方体(立体図形)は 3次元。このように、「ある図形の全体が、1/a に縮小したミニチュア ad 個で構成されるとき、その図形の次元は d である」と考えることにしましょう。
すると、コッホ曲線は・・・

3d = 4 となってますから、d= log 4 / log 3 = 1.2618595…(i) ほぼ 1.262 次元という評価になります。限りなくギザギザしているので、通常の「線」よりはも平面へと「にじみ出している」ような感触でしょうか。
(i) 対数の底はどうする? という声もありそうですが、自然対数だろうと常用対数だろうと、分子分母の底がそろってさえいれば何でもいいですね!
では、シェルピンスキー・ガスケットの次元はどうか。

2d = 3 ですから、d= log 3 / log 2 = 1.5849625... だいたい 1.58次元。イイカゲンなことを言いますが、途中経過でも、コッホ曲線よりも広がりが見える程度に「線」から「はみ出して」ますからね。それでもやはり2次元の量である「面積」としては 0。
いいぞ、その調子。それでは、カントール集合は? もうお分かりではないかしらん。自分自身を 1/3 倍に縮小したもの 2つで構成できますから、3d = 2 → d= log 2 / log 3 = 0.63092975... ついに出ました、1よりも小さい 0.63ちょい次元。無限個(非可算個)の点があるのに「スカスカ」で、「長さ」という1次元の量としては 0 なのです。
整数ではなくて小数、それも無理数らしい次元。これが「フラクタル次元」と呼ばれるものです。
今日はここまで~