昔々、日中共同での黒潮域の海洋観測プロジェクトが行われたころ、彼の国からの研究者が気象庁にお出でになったことを思い出しました。不肖、元・水の分析屋さんも、袁(えん)教授、劉(りゅう)技師、といった方々と、不出来な英語(どこかで書きましたが、英会話はほぼダメです)と怪しの「漢文」を操って意思疎通を図っておりました(笑)。
日本人が習う「漢文」は現代の中国語とはまったく違います。私が書き並べた文字列からどうにかして意味を拾っておられたのでしょう。英語の会話はポンコツでも読み書きはそこそこできたはずでしたが、いやはや、とんでもないご迷惑をおかけしたのであろうと、今さらながら冷や汗たらりです。
突然こんなことを書いたのは、袁先生と劉技師のことを書きたかったからです。いえ、印象に残っているのは、申し訳ないですがお名前だけ。袁さんと劉さん、塩酸と硫酸・・・その後も中国からのお客様を何度かお迎えしましたが、蒋さんも周さんも林さんも、お見えになることはありませんでした。オソマツ。
今回は、蒋さんじゃなくて、硝酸の話です~
窒素 N の価電子
硫酸のときと同様、窒素 N の価電子から確認していきましょう。原子番号 7 ですから、原子核には 7つの陽子。7つの電子を内側から詰めていくと、K 殻に 2コ、L 殻に 5コ。軌道で表現すると(1s)2(2s)2(2p)3 です。価電子は L 殻にある5コ。窒素分子 N2 を作るときには三重結合になります。

「手」が 3本ですね。水素 H 3つと結びついたらアンモニア NH3 です。

さらに、NH3 の非共有電子対を水素イオン(むき出しのプロトン)に与えて、アンモニウムイオン NH4+ です。ここまでの電子式なら、容易に理解できるかと思います。問題は酸素 O と結合するときです。どうなるでしょうか。
一酸化窒素、二酸化窒素
思うに、目先の受験対策とかで物質名や反応式だけ覚えたい人は、ある意味、幸せでいられます。「炭素は手が4本」「窒素は手が3本」「酸素は手が2本」「水素は手が1本」なんですが、ここから始まって、電子配置まで考えるようになると、悩みは尽きないとしたものです。沼です。元・水の分析屋さんのブログをまじめに読んで下さる方、電子の沼へようこそ(笑)。
バカ言ってないで話を進めましょう。
一酸化窒素 NO は無色、二酸化窒素 NO2 は褐色の気体です。NO は安定な分子ですが、酸素に触れると容易に酸化されて NO2 になります。いずれも「窒素酸化物 NOx」のくくりです。一酸化窒素 NO と 二酸化窒素 NO2 の分子は、どんな姿をしているのでしょうか。

赤と青の球がうまく連結して描かれているのを見て、なんだ簡単じゃないか、と思ったら負け。一酸化窒素 NO の場合、手が 3本の N からみると三重結合したいところですが、あいにく O は手が 2本。下の図のように、N か O のどちらかが電子過剰になってしまいます。

N, O どちらの顔も立てるために(?)、図中の緑の電子は N と O の間を高速移動して(半々の確率で存在する、という方がマシか)、両方の「オクテット則」を成立させようとします。結合を表す線のうち破線になっているのがそれです。
NO2 も同様で、行き場に困った(?)不対電子がどちらの O とも二重結合のフリをするために飛び回っている・・・と見ればよいと思います。

このように、分子の状態が1つの構造だけでは表現できず、2つ以上の構造の間を揺れ動くようなものを「共鳴構造」(i) といいます。
(i) N と O の p軌道にある電子のひとつが非局在化している(分子全体のどこかにある)と考えましょう。ちなみに、亀の甲羅のベンゼン環も共鳴構造。6コの C が単結合と二重結合が交互に並んで輪になっていると理解されますが、隣り合う C の距離がどこでも等しいことが分かっており、どちらが二重結合であるなどとは言えない状態になっています。
そして三酸化窒素・・・ではなく硝酸
私たちが実験室でお目にかかる「硝酸」は、窒素がつくるオキソ酸 HNO3 の水溶液(ii) です(無水硝酸は N2O5 で別物になります)。その分子の姿を図に示しましょう:
(ii) 強酸なので、解離して H++ NO3- となっています。HNO3 という分子式で表される物質自体も、その水溶液も「硝酸」としか呼ばれないことにご注意ください。塩化水素 HCl の場合、その水溶液は「塩酸」でした。

もう電子配置は示しませんが、N, O 間はどれが二重結合か言えない共鳴構造。特に、ヒドロキシ基 -OH からプロトンが外れた NO3- は、3つのオキソ基 =O が平等な立場になるので、取り得る状態が3通りある共鳴構造です。
硝酸は古代からよく知られた酸で、かなり早い時期から、窒素と酸素と水素でできていることが分かっていたようです。しかも、結びついている物質量の比が N:O:H = 1:3:1 であることも含めての話。何しろ、硝酸の銀や銅を溶かす作用は硫酸よりも強いのです。こんな話、錬金術師でなくても大好物でしょうからね。
まとめにもならないまとめ
小学生の理科の実験で登場する塩酸からして、どんな物質なのかは知っているつもりでしかありませんでした。当ブログでは、塩化ナトリウムとの比較で共有結合とイオン結合の違いを説明したつもりですが、今一度ご確認いただけると幸いです。
硫酸の分子構造は、従来、オクテット則での理解は無理だという話もあったのですが、やはり基本は基本、電子式はオクテットで考えようということで。今時の高校化学でどのように教えているかは別として、「イオウの手は6本」でいいと思います。そして、とても大事なことは、硫酸を希釈する手順を間違えないこと。水に硫酸を少しずつ加えるんですよ~。
硝酸も爆発物の原材料になるので取り扱いには注意。窒素と酸素は周期表で隣り合って並んでおり、価電子の数が1違います。その結果、両者の化合物は電子の取り合いになって苦労しているのです。共鳴構造の勉強になる点ではありがたいのですが、まあ、ムツカシイです。